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ニコンD70はなにをもたらすのか〜または「私的ニコン/キヤノン論」気紛れ映像論(3/3 ページ)

» 2004年03月05日 16時34分 公開
[長谷川裕行,ITmedia]
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 誰もが、使命感を持って、あるいは自身の中に密閉することのできない表現者としてのマグマを抱えて、写真を撮っている訳ではない。むしろ、手にした撮影装置に触発されて、それまで自覚すらしていなかった「自身に内包されている『表現の種』」が芽を出すのではないだろうか? その芽を摘むも育むも、われわれ先人の(ここで言う「先人」とは、単に若いアーティストを育てる側にいる人間――という意味)精神的キャパシティ次第である。

道具が創作意欲を刺激する

 例えば荒木経惟が「イコンタ物語」(*5)を創ったように、人は道具に触発されて創造することがある。この傾向は、創造のための道具がカメラやコンピュータなど複雑な機械である場合に顕著だ。

 新しい絵の具や絵筆を手にしたからといって、画家の創作意欲が湧くかと言えば、そうでないことが多いだろう。しかし、小さなキャンバスばかり相手にしていた画家が、広大な壁を前にしてイメージを活性化させ、新たな境地に至るきっかけを得ることもある。その場合、広大な壁が「道具の持つ可能性」を暗示し、画家の創作意欲を刺激したことになる。

 そのような図式が、複雑な機械装置では顕著に現れるのだ。新しい万年筆を得たことで、一気に作品を書き上げる詩人もいたことだろう。作家の高村薫が小説を書き始めたきっかけは、OL時代にワープロを触ったことだった。紙とペンの世界では「マークスの山」(*6)も生まれなかったかもしれない。道具が、埋もれていた感性を刺激することもある。

新しい「写真」は生まれるか?

 そう考えたとき、ニコンのD70はあくまでも旧来の銀塩カメラの延長線上にあると感じられる。一方のKiss Digitalは、以前指摘したようにカメラ付きケータイの延長線上にあると思える訳だ(先の脚注*4を参照)。この差は、小さいようで実は大きい。

 カメラ付きケータイと言えば、報道機関向けに通信機能を備えたデジタル一眼レフカメラが研究されている。実際には、もう市販できるレベルのはずだ。撮影したデータをいちいちパソコン経由で送信するより、カメラ自体の通信機能で社に送った方が手っ取り早い。これはもう「超高画質なカメラ付きケータイ」である。カメラに電話が付くのか電話にカメラが付いたのか、そんなこたぁどっちでもいい。

 これが現実のものとなったとき、プロ向け・報道向けのカメラとして大活躍するだろう。と同時に、例えば撮影したデータを自宅のパソコンや画像データ保管サービスを行うサイトのサーバーに送信する――といった使い方をする個人ユーザーが現れるはずだ。

 そうなると、撮影から発表までの“時差”は大幅に縮まる。画質や作り込みではなく“即時性”をウリにしたアートが生まれるかもしれない。技術の進歩はアートを変革する(*7)。

目的と機能の問題が横たわっている

 さてさて、先に少し触れたが、キヤノンが4月下旬に新しいデジタル一眼レフ「EOS 1D MarkII」を発売する。有効820万画素、毎秒8.5コマの連写性能(JPEGのLargeサイズで撮影した場合、40コマまで連写可能)……Kiss Digitalとは対極のプロ向け報道用カメラである。ライバルはニコンのD2H。報道分野での最高級機を狙っている。

 デジタルカメラはまだまだ発展途上であり、画質や描写性能と連写性能や取り回しやすさを両立させるのは難しい。画質を上げればデータサイズが増大してバッファあふれによるメモリへの書き込み遅延が発生し、連写性能を向上させようとすれば画質を犠牲にせざるを得ない……というトレードオフである。

 銀塩カメラのように、高速シャッター機構とモータードライブを組み付ければ万事OK――とはいかない(*8)。上述のような画質と連写性能のトレードオフという関係は、アマチュアユーザーやアートの分野でデジカメを使うユーザーにも影響を及ぼす。

 高速な連写を使って絵を作りたい人と、カメラを三脚に固定してじっくり構えたい人とでは、使うカメラが異なってしまうのである。

技術の「限界」はいずれ克服される

 もちろん、高速処理が必要なら低画質のJPEG、高画質でじっくり撮るならRAW――と、使い分けることはできる。その点、フィルムに頼らないデジタルカメラは非常に有利だ。が、最高の連写速度を求めたり、高画質でバシバシ連写したいという要求には、残念ながら現在の技術では応えることができない。そこに、“今のデジタル”の「限界」が見える。

 そう、これは「今の技術」の限界なのだ。決して、将来にわたっての、未来永劫変わることのない限界ではない。ここが、既に技術として行くところまで行っちゃった銀塩との大きな、そして本質的な違いなのだ。

 かつてデジタル写真は、解像度やそれに伴う質感描写の点で、銀塩には遙かに及ばないと、侮蔑的に評された。それが今どうなったのかは、あえて語るまでもない。


 ということで、ニコンD70登場の話題はいつの間にか現在の技術の限界、そしてデジタル技術の可能性へと、うねりながら変貌していくのであった。とうとう出してくれました♪って感じのライカDIGILUX 2とか、やっぱしそうきましたか〜って感じのコニカミノルタα-7にも触れたいのだが、とにかく次は「アートの身体性」を取り上げる。

フリーライター。大阪芸術大学講師。「芸術に技術を、技術には感性を」をテーマに、C言語やデータベース・プログラミングからデジタル画像処理まで、硬軟取り混ぜ、理文混交の執筆・教育活動を展開中。


*5 1981年、白夜書房刊。荒木氏が父上からもらったツァイスのイコンタ(ドイツ製のカメラ)で撮影した写真を、コンタクト・シート(いわゆるベタ焼き)のまま作品とした写真集。カメラを手にしたから撮りたくなった(≠撮りたいモノがあってカメラを手にした)……という趣旨の、作者のコメントに感銘を受けた。

*6 第109回直木賞受賞作。多重人格者の犯罪をテーマとしたミステリー(作者は「ミステリーではなく小説」と言っていた)。萩原聖人主演で映画化(1995年、松竹、崔洋一監督)された。

*7 ご存じの方もいると思うが、1878年、写真家エドワード・マイブリッジが12台のカメラを駆使して疾走する馬の連続撮影に成功。それによって、「走る馬の脚が四本とも地面から離れている瞬間のある」ことが明らかになった。それまでの「絵画」では、馬の脚はどれかが「地面に着いていた」のである。

*8 アナログの場合でも、高速連写性能の向上には大変な努力を要した。ニコンのFM2で実現された1/4000秒の高速シャッターも、一朝一夕に完成した訳ではない。

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