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日本のコンテンツ保護は厳しすぎる――なぜ戦わないのか?Intel著作権政策責任者との対話(1/3 ページ)

» 2004年06月21日 06時44分 公開
[小寺信良,ITmedia]

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 先週から、Intel副社長であるドナルド・ホワイトサイド氏と、デジタルホームコンテンツ部門ディレクターのジェフリー・ローレンス氏のお話しを伺いながら、日米のデジタルコンテンツのあり方などについて考えている。

 今週はさらに放送コンテンツと音楽の世界にもスポットを当てて、コンテンツビジネスにおける今後の行方のようなものを考えてみたい。

Intel副社長ドナルド・ホワイトサイド(Donald M. Whiteside)氏(右)と、ディレクターのジェフリー・ローレンス(Jeffrey T. Lawrence)氏(左)

日本のコンテンツ保護は厳しすぎる?

 デジタル放送が始まる前の段階では、コマーシャルはコピーフリーにしたらどうかとか、番組によってジェネレーションコピーを使い分けたらどうかという議論もあった。だが現時点で日本のデジタル放送に掛けられているコピーコントロールは、すべてのコンテンツに対して「コピーワンス」だけだ。

 将来的にはもっと緩やかになるといった希望的観測は捨てよう。ユーザーがなにも言わなければ、「なんだーそれでオッケーなんじゃーん」ということで何も変わらないのが、日本の放送業界である(関連記事)。では米国のデジタル放送のコンテンツ保護は、どうなっているのだろうか。

ローレンス氏:「米国の場合は、ユーザーはたくさんのコピーを自分のホームネットワーク内で行なうことができ、広く柔軟性というものが与えられています。ただし、無差別なインターネットへの配信だけは認められていません」

 「こういった状況があるからこそ、デジタル放送という新しいテクノロジーを支持するインセンティブが働き、急速な普及へとつながっていきました。コンテンツ保護技術で、コンテンツが盗まれることを防止することができますし、しかもコンシューマーには、個人利用に対する期待を満たすことができる。また家庭内での自由度があることで、メーカーにとってもビジネスチャンスがあります」

 米国でビデオレコーダーの大手といえば、まず最初にTiVoが思いあたる。確かにTiVoでは、家庭内にある数台のTiVoマシンをネットワークで接続し、お互いが録画したコンテンツを自由にコピーできる。例えば日本でもこのような状況になれば、便利だと思う人もいることだろう。だが、ちょっと平均的日本人が考える利用とは、ズレているような気がしないでもない。

 それは住宅事情などいろいろな要素が絡むが、日本では、米国のように各部屋からトイレに至るまでテレビがあり、レコーダーもそれぞれに付いているという状況ではない。むしろAV機器はリビングに一点集中する傾向があり、それ以外の場所での視聴のためには、専用ポータブルデバイスやパソコンを使う、という利用形態になるのではないだろうか。

 ということは、やはりPCでもポータブルデバイスでも使える、汎用性のあるメディアへのコピー保存、そしてそのメディアを以て、ライブラリー化するというやり方がなじみやすい。レコーダーのHDD同士でコピーできたからそれがなんじゃい、という話だろうと思うのだ。

 レコーダーのHDDにコンテンツが存在するというのは、保存とは違う。それは視聴の便宜のためにあるわけで、「一度見たら終わり」ということができる人へのソリューションである。だがわれわれは、メディアに格納して物理的にコンテンツというソフトウェアをパッケージ化するところに快感を得る民族性なのである。

 そう考えると、米国のコンテンツ利用のあり方だけを模倣しても、日本人の気質にあったコピーコントロールの形態にはならないのではないだろうか?

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