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私的録音・録画補償金制度では誰も幸せになれない(2/2 ページ)

» 2005年05月16日 12時47分 公開
[小寺信良,ITmedia]
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 この3団体に分配されるお金の比率は、SARAHの取り分を除いた金額を100%とした数字なのである。まず「共通目的事業への支出」として、全体から20%が差し引かれている。これは著作権および著作隣接権の保護に関する事業、および著作物の創作の振興と普及のために使われるそうなのだが、23億3920万円の20%と言ったら、約4.7億円である。そんなにプロモーションしてるかなぁ。むしろオレのほうがよっぽど貢献してるんじゃねえかという気がするのだが、筆者がもらうのはいつもの原稿料だけである。

 それからもう1つ、SARAH自身の運用資金が、補償金の中からどれぐらい引かれているのかが、よく分からない。運用資金は固定費だから、比率では表わせないということなのだろうか。権利者3団体が悲鳴をあげるほど取り分が少ないというのならば、各団体は文化庁に泣きつく前に、まずそのあたりをちゃんと洗った方がいいと思うのだが、それは言っちゃあイケナイことなのだろうか。

補償金のそもそも論

 そもそもなぜ補償金制度が必要なのかを、もう一度よくおさらいしてみよう。この補償金制度は、アナログ方式のコピーに関しては関与しない。デジタル記録はアナログよりも高品質で記録でき、コピーによる劣化がないからという観点から、それによる著作権者が被る不利益を補償するということで生まれている。

 そして補償金制度の運用開始よって、元々著作権法で保証されてきた「私的録音・録画は自由かつ無償」の原則が一部制限され、「自由かつ有償」になったわけである。

 だが今やデジタルコンテンツは、その扱いに関して「自由」ではなくなっている。少なくともなんらかのDRMに対応したポータブルプレーヤーでは、元がCDでもプレーヤーを介しての孫コピーはできない。しかもCDからPCに音楽を取り込んだ時点で、すでに無劣化でもなくなっているのである。

 現在補償の対象であるMDでさえ、やはり無劣化ではないし自由にコピーもできない。現在、補償金制度で対象とされていない楽曲のダウンロード販売にしても、CD-Rへの書き込み制限やプレーヤーへの転送制限がかけられている。利便性という意味では、確かに転送時間は節約できている点は認めてもいい。しかしそれ以外の部分では、アナログコピー時代よりも、自由度は大幅に制限されている。

 iPodのような音楽プレーヤーに課金することが、補償金制度に対して妥当であるかという議論以前に、そもそも補償金制度のベースである「自由かつ有償」という約束が、すでに話が違ってきているのである。さらにそれを押して課金範囲を広げれば、消費者はあまりにも踏んだり蹴ったりではないか。

 権利者団体がどうしても補償金制度にこだわりたいのであれば、払ってもいい。そのかわり、コンテンツの私的利用においては、黙ってコピーフリーにしてもらわなければ割が合わない。もしくはわれわれ消費者がDRMを受け入れる代わりに、補償金はなしだ。それがフェアなトレードオフというものである。

 元々音楽や映像といったコンテンツは生活必需品ではなく、嗜好品である。その消費にブレーキをかけるようなことが続けば、もう音楽聴くのやめちゃうよ、テレビ見るのやめちゃうよという選択肢が、消費者にはあり得るのだ。ただでさえ現実に即していない点が指摘されている現制度を、近視的な利益につられて強行すれば、その先には誰も何も買わないという、袋小路が待っているだけだ。

 次回の法制問題小委員会は、5月27日に行われる。この話がどのように進展するのか、しっかり見ておく必要がある。

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