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飽和するコンパクトデジカメ、脱却の糸口を探す小寺信良(1/3 ページ)

» 2007年05月28日 00時00分 公開
[小寺信良,ITmedia]

今日本では、何回目かのカメラブームが巻き起こっている。これまでの主役はコンパクトデジカメであったが、ニコンの「D40」がきっかけとなり、これまでハイエンドに位置していたデジタル一眼が一気にメインストリームに躍り出た。老舗カメラメーカーがしのぎを削るデジタル一眼は、まだまだやることが沢山ある。撮像面積にしても、現状のAPS-Cやフォーサーズで十分かという大問題を始め、ライブビューの是非、そして小型化はともかくも軽量化は女性ユーザー拡大には重要な要素だ。

 一方でコンパクトデジカメの煮詰まり具合は、相当深刻のように思えてならない。高画素競争もついに1000万画素に到達したわけだが、親指の先ほどもないレンズでそれだけの高解像度を撮ることに、どこまでの意味があるのか。ビデオカメラの世界ではハイビジョン化が進行しているが、これは200万画素程度である。それでもまだまだレンズがキビシイなぁと思う。デジカメでこれに気付かないのは、ピクセルバイピクセルの等倍で見る機会がないからである。

 先日発表されたキヤノン「IXY DIGITAL 810 IS」に搭載された「ファンタジーナイトモード」は、手ブレ補正領域を利用して絵を描くという。写真がもはや現実を写すものではないというのは、写真の進化として捉えるべきなのか悩ましいところだ。ましてやパナソニック「DMC-TZ3」「きみまろズーム」に至っては、もはやコピーからなんの機能的特徴も読み取ることができない。これを煮詰まっていると言わずに、何と言おうか。

古くて新しい、リコーGRシリーズ

 今年3月に発表された「J.D. パワー アジア・パシフィック 2007年日本デジタルカメラ顧客満足度調査」によれば、現在デジタルカメラの顧客満足度は、実に7割近くまで達している。この調査結果で興味深いのは、全部門中でもっとも高得点の708ポイントをたたき出したのが、リコーの「GR DIGITAL」であるところだ。

 GR DIGITALと言えば、2005年10月に発売されたモデルである。生き馬の目を抜くコンパクトデジカメ業界において、満足度のトップが2年前のカメラということは、他社がこの2年間にやってきた方向性は、実は間違っていたということなのではないか。

 不満点がなければ改良点がない。筆者はこの状況を「満足の迷宮」と呼びたい。コンパクトデジカメのメーカーで、この迷宮にいないのはおそらくリコーだけではないか。デジカメ黎明期には一時低迷した同社だが、常に他社がやらないことをやってきた印象がある。

 GR DIGITALの原型となったのは、フィルムカメラ時代の「GRシリーズ」である。そう聞くとずいぶん古いカメラがベースのように思えるかもしれないが、GRシリーズの開祖「GR1」の発売が1996年。さらにその原型となった「R1」が94年。あいだの95年には、同社初のデジカメ「DC-1」が登場している。実はリコー全体の歴史から見れば、GRシリーズはそれほど古いカメラではない。

photophotophoto GR DIGITALの原型となった「GR1」(左)、GR1の前身となった「R1」(中)、リコー初のデジカメ「DC-1」。液晶モニターは外付けだった(左)

 現在のリコーの前身となる「理研感光紙」の設立は、1936年(昭和11年)。その翌年に、「オリンピック」というカメラを製造していた銀座の会社と大森の工場を買い取り、リコーのカメラ事業がスタートした。オリンピックカメラは1934年の発売で、そこから数えれば73年の歴史がある。ちなみにキヤノンの第1号機「ハンザキヤノン」が1936年発売、ニコンは当時まだレンズメーカーで、カメラ本体を製造していなかった。

 これだけ古いメーカーであるから、これまでのカメラブームには必ずエポックメイキングな製品を投入している。1950年に発売された二眼の「リコーフレックスIII」は、当時のアマチュアカメラマンのあこがれであった「ローライフレックス」と同レベルの機能を持ちながら、1/10の価格で発売し、売れに売れた。当時日本の全カメラ生産量の50%以上を、このカメラ1台で占めたという記録が残っている。

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