例えば初めて「ドラえもん」を見た人が、「のび太にとってジャイアンは敵、ドラえもんは味方」という仮説を立てたとしましょう。仮説は間違っているかもしれないので「検証」が必要です。この話に対して検証をするなら、こんな作業が必要でしょう。
「ドラえもん」の膨大なエピソードをどんどん読んで、そこに登場するジャイアンとドラえもんの姿が「敵・味方」の仮説にマッチしているかどうかを確かめる――。こういうデータの読み方を「検証読み」と呼ぶことにしましょう。つまり視点を、
という一点に絞って、膨大なデータの中からそれに関係のある情報だけを拾っていく読み方です。
実は、「仮説」というのは「検証読み」を点火することさえできれば、それで95%ぐらいは役割を果たしています。大事なのは「検証読み」そのものであって、そのきっかけになる「仮説」は正しかろうが間違っていようがどうでもいいんです(それどころか、「仮説は間違っている方が都合がいい」と言ってもいいぐらいなのですが、その理由は長くなるので今回は省略します)。
「仮説は正しかろうが間違っていようがどうでもいい」という理由の1つ、それは図2にも書きましたが、
ということにあります。例えば図2にあるように「ジャイアンは実は正義漢な時もある」です。これぐらいならまだ「ジャイアンは敵」という当初の仮説の周辺での発見ですが、面白いのは「しずかちゃんは絶対にわるだくみをしない」というような、当初の仮説ではまったく意識していなかった発見ができることがあるんです。
不思議なもので、人間の意識というのは、
というケースがよくあります。「ジャイアンジャイアンジャイアンジャイアン!!!」と、ジャイアンとのび太の人間関係にだけ注目しているつもりでページをパラパラめくっているのに、なぜか他の人のことまで見えてしまうわけです。これは「検証読み」という、
ことを通して初めて得られる発見であって、最初から「仮説」を立てるのはまず無理です。ですから、「最初に立てる仮説が間違っていたらどうしよう?」なんて心配する必要はありません。そんなもの間違っていて当たり前です。間違いでも何でも、視点を絞れば「検証読み」ができるようになります。その「検証読みの量を、回数をこなすこと」が大事である、と割り切ってしまいましょう。
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