自分が好き? 居場所はある? 「幸せ」を実感するための3つの条件「アドラー心理学」的処世術(2/2 ページ)

» 2008年07月31日 12時30分 公開
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お酒を「やめさせるよう」仕向けるのはNG――支配するタテの関係は幸せを遠ざける

 こういう例があります。

 ある人が、自分の父親がお酒を飲み過ぎるので、お酒をやめさせたいと思ってカウンセラーに相談したとします。この場合、アドラー心理学でも、お酒をやめさせる方法はあります。でも、お酒をやめさせることには加担しません。なぜなら、「人が他人をコントロールすることにはしない」という「思想」があるからです。というのも、アドラーはヨコの関係を重視するからです。

 お酒を何か不快なものと結びつけたり、会話の中でお酒を不快に感じるように仕向けたりして、父親の知らないうちに酒量を減らすことはできます。しかし、それをアドラーは、人が他人をコントロールして操作する、タテの関係だと考えるわけです。

 そして、一時は父親の酒量が減っていいかもしれないけれど、決して幸せにはならないと、アドラーは考えます。もちろん、そう考えない心理学もあって、止めさせたいといわれたら、その通りにすることもあります。

 また、カウンセラーの意志で、やめさせる/やめさせない場合もあります。子供に勉強をさせたい、という場合も同様です。アドラー心理学でもほかの心理学でも、子供に勉強をやらせる方法はあります。でも、アドラー心理学では、子供がやるかやらないかに関係なく、子供に勉強をやらせることにはNoを言います。なぜなら、それはタテの関係だからです。

「体が心配だからお酒をやめて」――支配しないヨコの関係を重視

 では、父親の飲酒をやめさせるのも、子供に勉強をさせるのも諦めるのかといったら、そうではありません。「父親がお酒をやめるようにお願いできるヨコの関係を作る」ためのお手伝いはするんです。「子供が自ら進んで勉強したくなるように子供とコミュニケーションできる」ようにするお手伝いを、アドラー心理学はします。つまり、ヨコの関係を作ることで他人に影響を与えることに関しては大賛成なんですが、相手が知らないうちに操作することには賛成しません。

 なぜなら、操作してその場は改善したとしても、いつかは破綻します。そして、次の方法、また次の方法と、どんどん新しい方法を使っているうちに、操作しきれなくなって揉めることがあります。また、操作している側はいいけれど、操作されている側は自分の人生の主人公ではなくなってしまいます。

 そんな堅苦しいこと言わずに、と思うんですが、アドラーは厳格に、人が他人を操作することには一切加担しません。ただし、加担する人を否定はしません。アドラー心理学でカウンセリングする場合は、自分の価値観は一旦脇に置いておいてください。相手の価値観に基づいて考える、というだけの話です。

 誰かが誰かを操作することはしない。その代わり、影響力を与えるようないい関係を結べるようにします。だから、父親にお酒をやめさせはしませんが、父親に「お父さんの身体が心配だから、酒量を減らしてほしいんだけど」と言える関係を作るためには全力でお手伝いします。

 お酒のことは置いといて、どうやったら父親といい関係を結べるかに注力し、いい関係が築けた上で「お酒を減らしてほしい」とお願いして、「お前がそこまで心配してくれるなら」ということでお酒を止めてくれるほうが健全だと考えるわけです。その方が幸せだろうという価値観なんです。

 子供の勉強でも、子供となんでも話せるようないい関係を築いた上で、「お母さんはこの勉強をしてほしい」と言ってみる。すると、子供が興味を持つ場合もあるし、「お母さんがそうでも、僕はこっちがやりたい」と、Noを言われる可能性もあります。Noを言われるかもしれないけれど、ちゃんと自分の思いを伝えられる関係になるように、アドラー心理学はお手伝いをします

 母親に言われて勉強することの何がマズイかというと、自分で自分のことを好きになれない場合があるからです。その勉強がうまく行かなくなった時に、「いい点が取れないから、僕はダメだ。この家にいてもしょうがない」と考えて、所属感もなくなります。会社でもそうですね。上司の言うとおりに動いていることでうまくいって所属感がある場合は、いい結果が出せなくなった時に所属感はなくなります。

「自分はできない存在だ」――保護によるタテの関係もマズい

 なお、タテの関係には、相手を支配する関係に加え、相手を保護するというタテの関係もあります。これも、アドラー心理学では基本的には幸福ではないと考えます。もちろん、具合が悪い時に保護することは必要ですが、就職する会社まで親が出てきて決めるような関係はマズい。

 この場合も、子供は自分で自分のことを好きになれません。「僕はできない存在だ」と思ってしまう。また、母親のことは信頼できるかもしれないけれど、母親以外の人は信頼できないかもしれません。また、役に立っている感覚もありません。「母親はそれで幸せだし、子供もそれでOKを出しているからいいじゃないですか」と考える人もいるかもしれませんが、アドラー心理学では、長い目で見て幸せではない、と考えます。

 ただし、“アドラー心理学でカウンセリングする場合は”、あくまでヨコの関係をベースにします、という話ですので勘違いしないでください。タテの関係がダメという話をしてるのではありません。

 自分を好きになって、少しでも周りを信頼できて、自分の居場所があって、少しでも役に立てている感が増えるようにする――私のカウンセリングやセミナーは、アドラー心理学をベースにして行っています。


 次回から、「理論」についてお話ししていきます。

アドラー心理学がもっと分かる、4つのキーワード

前半期の「権力(優越)への意志」と「劣等感の補償」

 アドラー心理学の考え方に、身体的に劣っていることなどからくる「劣等感を補償」するため、劣等感を抱く分野とは違う分野などで自分が優位に立ち、権力を手に入れようと「権力(優越)への意志」が働く、という考え方があります。

 アドラー心理学をご存じの方なら、なぜこの2つのキーワードが私の話に出てこないのか不思議に思っていらっしゃるかもしれません。

 アドラーは時期によって考え方が大きく変わっています。「劣等感の補償」と「権力(優越)への意志」は、器官劣等性の研究をしていた前半期の考え方です。アドラー自身は第2子で、常に兄に対して戦おうとしていたため、自分の経験からこれらの理論を展開しました。

 しかし、後半期にはこれらについて、ほとんど言及していません。アドラーはこの時期になると「共同体感覚」や、「コモンセンス」「プライベートセンス」について語っています。

後半期の「コモンセンス」と「プライベートセンス」

 「プライベートセンス」とは、自分にとって得か損かしか見えず、自分のためにしかならない感覚のこと。これに対し「コモンセンス」は、「これはみんなにとってどんな意味があるんだろう」という発想をします。これがすなわち「共同体感覚」です。「コモンセンス」は直訳すると「常識」ですが、そういう意味ではありません。

 例えば、自分の娘の美代ちゃんが、隣の健ちゃんに泣かされて帰ってきた場合。プライベートセンスでは、ウチにとってどんな意味があるんだろうと考え、「ウチの子がやられた」とか「体面を汚された」というような発想しかできません。一方、「娘の美代と私と、向こうの親と健ちゃん、この4者にとってどういう意味があるんだろう」と発想するのがコモンセンスです。それがすなわち共同体感覚があるということで、後半期のアドラーの中心テーマになっているのです。


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ピークパフォーマンス 代表取締役

平本相武(ひらもと あきお)

 1965年神戸生まれ。東京大学大学院教育学研究科修士課程修了(専門は臨床心理)。アドラースクール・オブ・プロフェッショナルサイコロジー(シカゴ/米国)カウンセリング心理学修士課程修了。人の中に眠っている潜在能力を短時間で最大限に引き出す独自の方法論を平本メソッドとして体系化。人生を大きく変えるインパクトを持つとして、アスリート、アーチスト、エグゼクティブ、ビジネスパーソン、学生など幅広い層から圧倒的な支持を集めている。最新著書は「成功するのに目標はいらない!」。コミュニケーションやピークパフォーマンスに関するセミナーはこちらから。


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