いつも飲み会を断る職場仲間、どう付き合う?「アドラー心理学」的処世術(2/3 ページ)

» 2008年08月06日 12時59分 公開
[平本相武(構成:房野麻子),ITmedia]

下着泥棒する少年、本当に欲しいものは?

 精神症状でも典型的な例があります。

 下着泥棒をする中学生の男の子がいます。普通だと性的な障害じゃないかと思われますが、カウンセラーがカウンセリングをしていくうちに、下着泥棒をすると誰が一番困るかが分かってきました。誰かというと、彼の母親が一番困るんですね。母親は非常に強引でガミガミ言う人で、彼がお母さんに対抗して何をしようが、断固として彼には屈しません。

 でも下着泥棒をした時だけは困るんです。「それだけは、お母さんが世間に顔向けできないから止めて」というので、だからこそ彼は下着泥棒をするんです。盗んだ下着に特に執着はなくて、ただ母親がそれを見つけると参るから泥棒をする。これは対人関係論で考えることもできますし、2つめの目的論にも関わっています。

元ヤンキーの教師、どちらの顔が本物?

 昔、暴走族でたくさん舎弟を引き連れて練り歩いていた男性がいます。彼は不条理な大人に対して抗議するつもりでやっていたのですが、大人になって彼が何になったかというと、学校の先生です。ただ教えればいい、給料だけもらっていればいいという大人に反発して、子供と本気で付き合う先生になったんですね。

 じゃあ、どっちが本当の自分か、ヤンキーの自分か、教師の自分か。そうではなくて、彼は、本当に自分が正しいと思ったことを、人を引き連れて巻き込みながら通すような性格なだけであって、それがヤンキーの時は破壊的に出たし、学校の先生になったら建設的に出た、というだけです。

 アドラー心理学では、それが建設的に出るようにお手伝いすることはあっても、人を引き付けることを止めさせるということはしません。そうした瞬間に、カウンセラーとクライアントが上下関係になるからです。

たとえ妄想する相手でも否定しない、「なぜそう言う? 行動する?」を考える

 最後の5つ目の理論は「現象学」です。アドラー心理学では、物事を相手の見方で見るようにします。現象学と反対なのが「客観主義」です。

 例えば、「私はスパイに追われている」とか「私は天皇の生まれ変わりだ」と言い出す人がいますね。まあ、本当かどうか分かりませんが、そういう話を「統合失調症だ」と分類するのは、客観主義的なアプローチです。

 それに対して、現象学的なアプローチでは、「この人はそう話すことで、どう気を引きたいんだろう?」「何を伝えたいんだろう?」と考えます。もしかして、自分を大事な人間だと考えてほしいのかもしれません。このように、相手の人の身になって「どうしてそんなことを言うんだろう?」と発想するのが現象学的アプローチです。

「天井にスパイがいる」「体の中にアブがいる」に、とことん付き合ってみる

 例えば、「天井にスパイが隠れているんです」と言われたら、普通はそんなバカな、と言いますね。そこを、「そうですか。じゃあ探してみましょう」といって、一緒に天井に上るのが現象学的アプローチです。「どうですか、どこかにいますか?」と聞いて、「あれ、いないですね」と本人がいうと、それで大抵は良くなります。

 こんな例もあります。クライアントが「先生、夜、眠れらないんです。こんなに大きなアブが、一晩中、身体の中を飛び回って、ブンブンいうので寝られないんです」といいます。明らかに幻覚・幻聴ですね。これを「幻覚・幻聴、つまり妄想ですね」とやってしまうと客観主義です。

 現象学的アプローチはこんな感じです。

 「そうですか。じゃあ、なんとかしましょう」と受け入れて、「今からアブを出すので、目隠しをして横になっていてください」と、具体的なアプローチに入ります。そして、助手数人と外を走り回ってアブを採ってきます。採ってきたアブを手に隠し持ち、「じゃあ、今から私がアブを取り除きますね」と言って、取るマネをします。そして、「あ、取れました。よかったですね。アブが出てきましたよ!」と知らせてあげると、クライアントは「先生、ありがとうございます。助かりました。これでやっと1匹目のアブが取れました」となるんです。先生は苦笑いですが(笑)。

 このように、アブがいるんだという前提で動くのが現象学的なアプローチです。

キリストを名乗る患者に、背丈サイズの十字架をつきつけてみると……

 1970年代に開発されたコミュニケーション心理学、NLP(Neuro-Linguistic Programming)の創始者の1人、心理学者のリチャード・バンドラーにも同様のケースがあります。「私はイエス・キリストの生まれ変わりだ」という人がいました。こう言うと、「いや、そんなことはない」と大抵のアメリカ人は言います。

 でも、バンドラーは妄想だとは言わずに、「そうですか。あなたはイエス・キリストなんですね」と対応しました。そして、「手を広げてもらっていいですか?」と言って、手を広げた状態で両手首の間の長さを測ります。

 次に、「ちょっと立って下さい」と言って、足から頭までの長さを測ります。「何をしているんだ?」という患者に対し、「あなたはイエス・キリストですよね」と確認し、「そうだ」と言う患者に、サイズぴったりの十字架を持ってきたんです。そして「あなたはキリストですから、この十字架を見て、これからどうなるか分っていますよね」と。するとその患者は「いや、私はイエス・キリストではない」と言ったというんです。

 これが本当の話かどうかは分かりませんが、バンドラーはイエス・キリストだったら困るだろう、ということを想定して用意したんですね。本当のイエス・キリストだったら受け入れるしかありませんが、その患者は違うと言ってしまったというわけです。

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ