またも呼び出し大口兄弟の伝説(2/2 ページ)

» 2008年11月12日 10時30分 公開
[森川滋之,ITmedia]
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 「先月の終わりには、日本一も夢ではないと思ったのになあ」。ため息のあと和人は、ほんの半月前のことを懐かしく思い出していた。あれ以来、マザーもクオーターも法人中心に営業をするようになってきた。何しろ5、6件に1件はアポを取る特殊能力を持つイケメンがいる。彼のアポ取り能力は依然衰えず、マザーとクオーターの仲良しチームもロバさんとオタクのロバさんチームも順調に契約を重ねている。

 6月15日の段階で、和人のヨミでは今月の目標達成は問題なさそうだった。数十回線だが、目標を超えそうな勢いだ。

 そんな中、タカシとショージの大口兄弟だけが、まだ結果を出していなかった。

 「大口」顧客である大企業にしか行かないと宣言し、見込みは2000回線と「大口」ばかりをたたいているので、大口兄弟と呼ばれている2人。ただし、本人たちは至ってノー天気であり、「大口」を取ってくると期待されているチームだとしか思っていない。

 この2人が大企業にしかいかないのは理由があった。

 基本給のほかに契約回線数に応じてコミッション(歩合)がもらえることになっている。タカシもショージもそのコミッションが欲しいのだ。それには、小さな会社相手に実績を積み重ねるより大企業を相手にしたほうが効率がいい。中小企業も大企業も難易度は違うが、契約を取るための手間は、コミッションの差ほど大きく変わらない。

 タカシは、ITバブルのときに技術も分からないのに起業した。最初は順調だった。タカシは儲けた金で高級外車を乗り回すなどお定まりの浪費コースに突き進んでしまった。そんなことばかりをしていたので、優秀な技術者がタカシに愛想をつかして転職してしまい、売上が落ち込んでしまった。その翌月にキャッシュが不足してしまった。いわゆる黒字倒産をしてしまったのである。

 借金が残った。サラリーマンをしていたら返すのは難しい額だ。なので再度起業をしようともくろんでいるが、先立つものがない。そこでC営業所にもぐりこみ、コミッションを次の起業資金に充てようと考えている。

 ショージは、自分の過去についてあまり語りたがらなかった。和人の目には体育会系のポジティブなところだけが取り得の男に見える。きっと自分には営業があっているに違いないという思い込みでC営業所の募集に応じたのだろう。確かに明るくめげない性格は営業向きなのかもしれない。

 採用され、周りの人間を見ていたら「大企業にしか行かないオレの目標は月2000回線だ」と豪語する男がいた。コイツに付いて行こうと思った。そしたら所長が一緒のチームにしてくれた。大口兄弟とチーム名まで付けてくれた。なんとなくカッコいいと思った。それで、なかなか結果が出なくてもタカシとやっている。でかいことをやろうと思ったら時間はかかるのだ。

 大企業は確かに営業的な観点から考えると効率がいい。ただ、短期決戦には向かないということを2人はよく理解していなかった。大企業はお役所と一緒なのだ。担当者が、まず情報収集する。それだけでかなり時間を取られる。担当者はそのあと上司とよく話し合い、関係部署と根回しをした上で稟議を上げる。稟議書が起案されるまでがまた長い。その後も関係部署を行き来して、場合によっては差し戻されたりもする。数カ月かかるのが当たり前なのである。

 正確にいえば、大企業であっても緊急度や重要度の高い要件に関しては意思決定が早い。社長を始めとする経営者の肝いりの要件であればなおさらだ。しかし、マイラインの乗り換えはけっして緊急度も重要度も高くない。経営者がどうしてもやれというような案件でもない。別の要件で担当者は忙しく、後回しになってしまうのである。

 なので、大口兄弟にはまだ結果が出ていない。和人はその辺の事情は良く分かっているので、彼らを責めることはない。じっと進捗状況を見守り、必ず結果は出るはずだと思っている。ただ、いつになるかは和人にも読みきれない。大口兄弟が同行を求めないからだ。

 最初は一緒に行こうかと言っていた和人だが、自分たちでやりたいという大口兄弟の意思を尊重することにした。報告だけは上げさせている。

 さて、和人のため息の原因である。

 今朝、またしても本部に呼び出された。どこからバレたのだろう。和人が本部に無断で営業体制を変更したのが問題にされたのである。思い出すだけでも不愉快なのだが、どうしても思い出してしまう。

 5月の半ばに呼び出されたときも雨だった。今朝も梅雨の中、湿気がまとわりついたワイシャツを気にしながら、和人は重い足取りで本部に直行した。靴底に小さな穴が開いてしまったらしい。靴下がじんわり湿っていた。「靴を脱いだら臭うだろうなあ」と思った。

 5分ほど待たされたのも前回と一緒だった。女性事務員の持ってきてくれたお茶をすすっていたら、どうしても仲良くなれそうもない営業本部長の田島が、相変わらず隙のない高級そうなダークスーツで現れた。雨の日なのに靴がピカピカなのはなぜだろう? 眼鏡は新調したらしく、少しおしゃれなフレームに変わっていたが、その奥の目が笑っていないのも相変わらずだった。まるでデジャヴだ……。

 「吉田さん、今日お越し願った理由はよくお分かりですよね」「いや。それが見当がつきませんで……」「営業所長に就任していただくにあたって、条件があったはずです」

 ははん、あのことか。「本部から指示された営業体制を勝手に変更しない。またパンフレット等は本部から提供されたものを使う。どちらもあなたは破りましたね」。どこから漏れたのだろう? 和人には思い当たらなかった。「あのままでは結果が出ないのは明らかでしたので、私の独断でやりました。申し訳ありません」

 だが田島は許さなかった。「最初の月に結果が出なかったのは、そのせいだと我々は見ています」

 言うにこと欠いて、何をいいやがる。あんな体制でうまくいくものか。何を根拠にそんなことを言うんだ?

 「まあ、いい。今さら戻すわけにもいかないでしょう。今回だけは特別に不問にします」「ありがとうございます」

 和人は素直に礼を言った。不問にしてくれるなら、何もムダな言い争いをすることはない。

 「ただし――」。和人は、それに続く田島の言葉を聞いて、絶句してしまった。

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著者紹介 森川“突破口”滋之(もりかわ“とっぱこう”しげゆき)

 大学では日本中世史を専攻するが、これからはITの時代だと思い1987年大手システムインテグレーターに就職する。16年間で20以上のプロジェクトのリーダー及びマネージャーを歴任。営業企画部門を経て転職し、プロジェクトマネジメントツールのコンサル営業を経験。2005年にコンサルタントとして独立。2008年に株式会社ITブレークスルーを設立し、IT関係者を元気にするためのセミナーの自主開催など、IT人材の育成に取り組んでいる。

 2008年3月に技術評論社から『SEのための価値ある「仕事の設計」学』、7月には翔泳社から『ITの専門知識を素人に教える技』(共著)を上梓。冬には技術評論社から3冊目の書籍を発売する予定。


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