オレはリベンジしたいんだ大口兄弟の伝説(2/2 ページ)

» 2008年12月10日 15時00分 公開
[森川滋之,ITmedia]
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 タカシは世間から2流といわれる大学に在籍中に、ちょっとした学生ビジネスを始めた。高校の同窓会に出たら、インターネットで利用できる当時としては画期的なソフトウェアを作ったという男がいた。タカシはそのとき4年生だったが、卒業に必要な単位数は足りていた。でも就職は決まっていなかった。そこで、そのソフトで一緒にビジネスしないかと持ちかけた。

 そのソフトは大当たりだった。タカシは開業資金として貯金をはたいただけだったが、押しが強そうだということで社長に納まった。ソフトウェアを作った男は、あまり欲のない男で、プログラムを作っていれば満足というタイプだった。

 その後、もっと機能を充実させることになり、プログラマを雇い、営業も雇った。タカシは一気に金持ちになり、生活も派手になった。なにしろ技術のないタカシに会社にいてすることはない。毎晩のように取引先を接待し、車も高級外車に乗り換えた。

 そのうちソフトウェアと作った男と言い争いになった。交際費があまりに多すぎる、もっと開発資金に回せという話だった。物別れになり、ソフトウェアを作った男はプログラマを連れて辞めてしまった。納品が滞り、キャッシュが入ってこなくなった。会社は黒字倒産してしまった。金回りの良かった頃は、タカシになついていた営業たちは、経理担当と一緒に金庫から金を持って出て行ってしまった。タカシに残ったのは、勤め人では返せそうもない額の借金だけだった。

 それから、いろんなバイトをして、ちょっとずつ借金を返しながら食いつないだ。一時期の派手な生活が懐かしくなることもあったが、タカシは耐えることもできる人間だった。逃げていった連中が金についてきただけだったと知ると、派手な生活をしていたことがつまらないことだったと気付かざるを得なかった。

 だから、タカシの言うリベンジは、もう一度派手な生活をすることではなかった。まっとうな事業を一から始めようということだった。それには多少なりとも元手がいる。また、技術のないタカシは営業力でのしあがっていくしかないと考えている。それには大企業相手に通用する営業力が欲しいとタカシは考えていた。それが正解かは分からないが、どうせやるなら難しいことにチャレンジするほうがいい。

 和人は、タカシの本音をはじめて聞いた。いい加減な若者だと気持ちが拭い去れないでいたのだが、そうではなかったようだ。

 今度は、ショージが語り始めた。

 「オレは、中学の時いじめられっこだったんだ。高校デビューでさ、不良仲間に入った。不良ってさ、実は口下手なやつが多いんだよ」

 だから、仲間同士でつるむしかない連中が集まった。それはそれで楽しかった。口下手なので親も兄弟も学校の連中も誰も自分たちのことは分かってくれないが、仲間だけは分かってくれた。バイクを転がして、みんなでいろんなところへ行った。暴走族というわけではない。バイクに乗ってる間は口を聞かなくていいからバイクを選んだ。そういう連中が集まった。バイクを降りると口下手同士だから、しようもないことで喧嘩が始まった。でも、それが楽しかった。こぶしで語り合っている気がした。

 高校を卒業したら、家から追い出されたように東京に出てきた。家が地方の名家だったので、親のコネで定員割れの大学にもぐりこむことができた。

 「2つ下の弟が優秀でさ。親もオレと弟を引き離したかったんだと思う」

 女にさっぱりモテなかった。本当はそれだけではなかったが、口下手のせいだと思い込むことにした。話し上手になるために接客業のバイトをした。向上心がないわけではないのだ。でも、空回りばかりしていた。店長と喧嘩して、次に移るということを繰り返した。

 「そのうち、ノー天気に話をすればいいって分かってきて、今みたいになったんだ」。それでも、客先に行くと今でも緊張するのだと言う。

 「オレもタカシと一緒でなんの技術もないじゃん。だから営業に賭けるしかないんだよ。ずっと仲間以外誰にも相手にされない人生だったから、みんなをあっと言わせたいんだ」

 和人には、そんな理由で営業を選ばれたらプロの営業に失礼だという気持ちも正直あった。営業にだって高度な技術やノウハウはある。ただ自分の人生を振り返るとショージに共感できる部分も大きかった。

 和人の腹は決まった。迷いがなくなった。「よし、分かった。お前らの思い通りにしろ。オレはお前らに賭けることにする」

 2人ともうつむいている。和人に涙を見られるのが嫌だったからだ。

次回「不運続き」はこちら

著者紹介 森川“突破口”滋之(もりかわ“とっぱこう”しげゆき)

 大学では日本中世史を専攻するが、これからはITの時代だと思い1987年大手システムインテグレーターに就職する。16年間で20以上のプロジェクトのリーダー及びマネージャーを歴任。営業企画部門を経て転職し、プロジェクトマネジメントツールのコンサル営業を経験。2005年にコンサルタントとして独立。2008年に株式会社ITブレークスルーを設立し、IT関係者を元気にするためのセミナーの自主開催など、IT人材の育成に取り組んでいる。

 2008年3月に技術評論社から『SEのための価値ある「仕事の設計」学』、7月には翔泳社から『ITの専門知識を素人に教える技』(共著)を上梓。冬には技術評論社から3冊目の書籍を発売する予定。


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