「やめる」ことを決めるのだシゴトハッカーズ(2/4 ページ)

» 2009年01月22日 14時30分 公開
[大橋悦夫、佐々木正悟,ITmedia]

2つのアプローチが考えられます。1つめはおっしゃるように「代替手段」を探すというアプローチ。もう1つは、そもそもの目的をあらためて確認するというアプローチです。

 行き詰まるときというのは、手段が間違っているか、目的が合っていないかのどちらかであることが少なくないので、「あっぷあっぷになる」ことというのは、それに気づくまたとないチャンスであるといえます。佐々木さんの場合は、代替手段として「デスクトップ検索」に落ち着いたわけですが、おそらくその過程では、いつのまにか「1つのツールで一元管理する」ということが目的化されていた可能性があります。「あっぷあっぷになる」ことによって、一元化の“規制”から解き放たれ、その結果として本来の目的に立ち返ることができたのでしょう。

手段自体が目的になっていないか、見直そう、というわけですね。


「そもそもの目的をあらためて確認するというアプローチ」ですが、それであることを思い出しました。何かをやめるキッカケを得るにあたって、いわゆる「すごい人」や「成功者」の本を読んだということがありました。

 例えば「週に4日しか働かないで成功した」みたいな話を読むと、「自分がやっている余計なこと」を見直すキッカケになります。あるいは、佐藤可士和さんなどの整理術の本を読んで、すぐにその通りの整理を実行しようとは思いませんが、あそこまで(やや強迫的とさえいえるほど)の環境が会社で成立するのなら、自分の机の上には、どう考えても要らないものが乗っているのじゃないかとか、そういう考えが自然と浮かび上がってきます。

なるほど。逆に、やめ過ぎちゃって困るみたいなことはないんですか?


実際に「やめる」ことをしてみると、あるいはしようとしてみると、実にいろいろな要素が絡んできて、おいそれとやめられないことにすぐ気づきます。例えば、私はMacを買って以来、すべてをMacに一元化するべく、Windowsでやっていることのどこまで移行できるか探し回っていますが、使っていたソフトを買い直すのは高く付き過ぎるるなど、いろいろな制限要素が飛び出してきますから、やりきれずにいます。

 ずっとやってきたことというのは、無意識のうちに必要な結果を得てきたわけですから、やめるまでは何を得たか忘れていますが、やめてみると、次々に「やめるとこれが得られなくなるんだ!」と気づかされます。それでもあえてやめるのでなければ、結局「やめられない」ので、まず「やめ過ぎる」というところまでは至らないです。

なるほど。ちなみに、お二人とかその周りで、どんなことをやめましたか?

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