インタビュー
» 2009年05月12日 12時00分 UPDATE

ひとりで作るネットサービス:元高校教師がいかにしてネットサービスを開発したか――「割り勘電卓」増永さん (1/2)

高校教師を9年間勤め上げた後、「自分が作ったもので渡りあって行きたい」と決意して独立した増永玲さん。「名前をつけてやる」「割り勘電卓」などのユニークなサービスを開発し続ける増永さんの秘密に迫った。

[田口元,Business Media 誠]

 ひとりで作るネットサービス第42回は「名前をつけてやる」「割り勘電卓」などユニークなネットサービスを数多くリリースしている増永玲(ますなが・あきら)さんにお話を聞いた。増永さんは高校教師を9年間勤め上げた後、「自分が作ったもので渡りあって行きたい」と決意して独立。次々にネットサービスを作り出す秘訣とは?

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st_ma01.jpgst_ma02.jpg 左は「名前をつけてやる」、右は「割り勘電卓」。こちらは携帯電話向けだがもちろんiPhoneでも利用できる

深夜ラジオみたいな「わしペー」で見知らぬ人とつながる

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 「人類初だぞ! 世界が変わるぞ!」――大学教授のこの言葉に増永さんは衝撃を受けた。初めてインターネットに触れ、メールについての説明を受けていたときだった。「地球の裏側まで瞬時にメールが届くんだ。こんなことは人類始まって以来だぞ」。確かに世界が変わるかもしれない。そう確信した増永さんは一気にインターネットの世界にのめりこんでいった。

 そのころから毎晩大学の計算室にいってWebページを作るようになった。広島出身だった増永さんは自作したWebページのタイトルを「わしのページ」、略して「わしペー」と名付けた。1996年当時、個人が作るWebページは稀だったため、雑誌にもとりあげられたことがあったという。

 「ちょうど深夜のラジオ番組のようなサイトでしたね」(増永さん)。最初は思いついた小ネタをアップしていくだけのサイトだったが、すぐに全国から投稿が寄せられるようになった。個人で作ったものでも見知らぬ多くの人とつながっていくことできる……。この体験を通じて、増永さんの世界が確かに変わりつつあった。

先生、わしにもカエルくれーや

 「生まれも育ちも広島」という増永さん。大学卒業後はなぜか英語教師として地元の高校に就職することになる。「教育学部ではなかったのですが……。ただ、当時打ち込んでいた英語通訳の授業では教官に認められていたのでその流れで試験を受けてみたのです」。最初は右も左も分からない状態だったが、気が付いてみると9年間勤め上げていた。増永さんにとって「人を育てる」ということは、思ったよりもずっとやりがいのある仕事だった。そして生徒が学ぶ以上に、増永さん自身も数多くの大事なことを学んだという。

 9年間で担当したのは2つの高校。最初の高校は問題児が多く、教科書を持って来ないどころか、席にもつかない生徒ばかりだった。最初の2年ほどは本当に何をすべきか分からなかったという増永さん。しかしある日、「結局は自分がこうだと思ったことをやるしかない」と気持ちを切り替えることにした。自分なりにさまざまな工夫をこらす毎日が始まった。

 「少しずつでも簡単なごほうびを与えることから始めよう」と増永さんは考えた。予習のプリントをしてきた子には「かわいいから」カエルのスタンプを押してあげることにした。「そうすると不思議なことに普段トラブルの多かった生徒も予習をしてくるようになったのです。『先生、わしにもカエルくれーや』と言われたこともありましたよ」。当時の思い出を増永さんはそう語る。

 5年間勤めたその高校での最後の日、ホームルームを終えると1人の女の子がぷいと教室を出て行ってしまった。当時問題を抱えていたその子に対して、増永さんなりにコミュニケーションをとろうと努力してきたので「最後まで懐かなかったな」と思ったという。しかしすぐにその子は戻ってきた。「先生、これまで迷惑かけてごめんなさい。今までありがとう!」両手いっぱいの花束を泣きながらプレゼントしてくれたという。

 次の高校はうってかわって進学校だった。有名大学に何人もの生徒を合格させていた。この高校でも増永さんは生徒と本気で向き合うことで多くのことを学ぶことができた。しかし、授業を必死にこなす毎日を過ごしつつも、「もっと違ったことをしてみたい」という気持ちが増永さんの中でどんどんと大きくなってきていた。

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