「管理」の限界感動のイルカ(1/2 ページ)

「チームは順調だけど、1人当たりの売り上げが目に見えて落ちてるな」――。上司から、そう指摘を受けた猪狩浩。原因は分かっている。目が届かなくなったのだ。

» 2009年07月22日 08時00分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

前回までのあらすじ

 ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語。主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)は、よく理解しないままフルコミッションのテレアポ営業の職に就いた

 当初、アポがまったく取れなかった猪狩だが、上司の三善啓太(みよし・けいた)のアドバイスで営業として成功を収め始める。ついには15人の部下を持つようになったのだが……。


 フルコミッションの営業会社に人は残らない――。浩と一緒に入った連中は、すべていなくなってしまった。

 当時の先輩たちもほとんどがいなくなった。能力があって、自分を見失わない人間しか残らない。入社当時の営業部長は、そういう人だったのだろう。部下を人間とも思わなかった人だったが、少なくとも自分を変えることはなかった。1年前に役員になって本社に戻っていった。その後釜には、恩人である三善啓太(みよし・けいた)が収まった。この人は部下を人間として見ているところが前部長とは違うが、やはり何があっても自分を変えない。

 そういう啓太だから、浩には一言一言が堪(こた)える。

 「チームは順調だけど、1人当たりの売り上げが目に見えて落ちてきてるな」

 原因は分かっている。目が届かなくなったのだ。10人ぐらいまでは良かった。最初育てた部下である山口始(やまぐち・はじめ)が右腕的存在となり、一緒に新しい部下を育ててくれた。しかし、さすがに15人にもなると始も手一杯になってしまい、全員のフォローができなくなってしまった。

 浩自身は、ほとんど営業をやらずに管理に徹しているつもりなのだが、次々と予期せぬトラブルが発生し、そちらに時間を割かざるを得なくなっている。

 「すこし部下の数を減らしてほしいんですが」。浩は絞り出すように啓太に言った。「そうしてやりたいが、今の体制では無理だ。おまえが構わなくても動くようにするにはどうしたらいいか考えてくれ」

 浩には、啓太のいうことがさっぱり分からなかった。確かに、一度飲みにいって大切なことを教えてくれた以外、啓太に構ってもらった記憶はほとんどない。ときどき悩みを打ち明けると、それに答えてくれる程度だった。

 しかし、それは自分がある意味優秀だったからだと、浩は半分自惚(うぬぼ)れの気持ちで思っている。箸にも棒にもかからない連中はそんなことじゃ仕事をしない。もはや、管理の限界だと思う。何かの本に書いてあった。人が人を管理できる限界は6人までだと。管理できる人間が、オレと始しかいないのだから、もはや管理限界を超えている。

 そう言おうと思ったが、啓太には別の答えがありそうだったからやめた。何か方法を考えよう。

 「山口、たまには飲みにでもいこうか」

 「猪狩さんからそんな言葉が出るなんて珍しいですね」

 浩のチームも人並みに忘年会ぐらいはやっていたが、浩自体が飲みに行かないので、こうやって部下を誘うのは本当に珍しいことだった。「たまにはいいじゃないか。そうだ。夕方戻ってきたやつも連れて、銀座でぱあーっとやろう」

 まだ、バブルがはじけるまで1年ぐらいあった頃だ。営業マンが飲みにいくのなら銀座と決まっていた。浩は銀座に不案内だったが、以前一度接待で啓太と一緒に行った店があったのを覚えていた。

 結局6人のメンバーで、銀座4丁目の「綾」という店に繰り出すことになった。まだ早い時間だったので、綾は空(す)いていた。

 緊張しながらドアを開けると、ママとおぼしきやや年配の着物姿の女性が「あら、前に三善さんと一緒に来た猪狩さんじゃないの。お久しぶり」と迎えてくれた。

 (名前、覚えていたんだ)

 銀座のママは人脈が命である。一度来た人間を覚えているようなママはざらにいるのだが、浩は単純に感激してしまった。

 6人のメンバーに6人のホステスがついた。1対1である。このような状況で話ができない子は銀座の店にはいない。口下手な浩でさえ、会話が楽しくてしかたない状態になってしまった。ボトルはお任せで入れた。どんな高い酒を持ってこられるかびくびくしたが、国産のウィスキーだったので安心した。

 店が混むにつれて、ついていたホステスは2人になったが、酔いの勢いも手伝って、6人とも盛り上がっている。

 (意外と楽しいもんだな)

 浩はそう思った。明日からまた頑張るぞ、と全員に気合いが入ったのを見届けた浩は、トイレに行ったついでに勘定を済ませることにした。金額は10万円ちょっと。当時の感覚でいえば、かなり安いと思った。これなら、接待費で落とせるだろう。これでみんなのやる気がでるなら安いもんだ。

 翌日浩は、領収証を持って、事務の斉藤清美に接待費で落としてくれと頼みに行った。

 清美は、以前得意先リストを作るときに食事をおごった事務の女性である。それ以来何かと世話になっており、レターを出す切手代も経費で落とせるよと教えてくれたのも彼女であった。それまで、会社の経費を使うという感覚が浩にはなかったのである。

 「珍しいわね、猪狩さんが接待費なんて」

 「うん。ちょっと、お世話になっているお客さんとね」

 「社名と何人で行ったか教えて」

 「うん、え、まあ……」

 「相変わらず嘘がつけないのね。チームで行ったんでしょ?」

 「ああ、ダメ?」

 「いいよ、適当にごまかしといてあげる。でも、そうたびたびは無理よ。猪狩さんの権限なら月に50万円ぐらいまでね」

 (なら、週に1回ぐらいはいけることになるな)

 「気をつけてね」

 「何を?」

 「飲み代使いすぎて、クビになった人もいるから」

       1|2 次のページへ

Copyright © ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ