今だから勉強したい、たった2つのこと――「超」整理法の野口氏

『「超」整理法』などで知られる早稲田大学ファイナンス研究科の野口悠紀雄教授が社会人学習について語った。野口氏によると、一般的な大学を卒業したビジネスパーソンが学ぶべきものは、「英語」と「数学」だという。

» 2009年10月13日 17時56分 公開
[鷹木創,Business Media 誠]
photo 野口悠紀雄教授

 「不況下だからこそ、社会人は勉強を」――。『「超」整理法』などで知られる早稲田大学ファイナンス研究科の野口悠紀雄教授が社会人学習について語った。10月9日、新刊『図解「超」勉強法』を記念して東京・丸の内オアゾの丸善で開かれた講演会でのことである。

 「株式も投資信託も買ってはだめ。今は自分に投資するときだ」という。2008年の“リーマンショック”以来、世界的な不況下にあるからこそ、株式などの金融商品は投資した分を回収できないからだ。時間が立てば景気も立ち直るのでのはないかとの楽観論もあるが、野口氏は悲観的。

 「若干持ち直してはいるが、景気回復ということではない。急激に回復すると考える人がいるかもしれないが、そんなことはない。製造業のピークは2007年だった。現在はそのころに比べて、輸出も生産水準も7割程度。3割減少した。企業の利益はもっと悲惨で、製造業は全体として赤字だ。信じられないことに、製造業が経済活動をすれば、プラスにならずに経済的な損失を与えてしまう。産業がこういう状況になることは今までなかった。今後これまでのように急回復することはないだろう」

 しかし、見方を変えてみれば「危機はまたとないチャンス」。破壊的な不況ではあるが、破壊の後には創造が続く。創造するためには何かをしなくてはならない。「何をする必要があるかというと、自分の能力を高めることだ」というわけだ。不況の時代こそ、勉強する時代なのである。

今だから勉強したい、2つのこと

 もちろんこれまでも勉強することは重要だった。ただ学ぶべきことが異なっていただけだ。平時であれば「いい大学に入って、いい会社に入る」ような勉強こそが大事だった。つまり、受験勉強のような回答ありきの勉強である。会社に入った後でも、「○○部長と××課長は仲が悪い」というような社内政治的な“学習”も効果的だった。野口氏自身も「多くの企業では、上司にゴマをすることも勉強と同じくらい重要で、馬鹿にできない重要性を持っていた。そういう事実を無視して、勉強しろということに意味があるのか、明確には言えない状況だった」ことを認める。だが、不況下においては企業は当てにできない。自分の力でビジネスを切り開く必要があるのだ。

 では、一般的な大学を卒業したビジネスパーソンが何を学ぶべきなのか。「かなりはっきり言えることは英語。もう1つは数学。英語と数学です」と繰り返す。

 英語を学ぶのは、仕事の範囲を日本国内に限定させないためだ。英語は世界共通のビジネス言語である一方、日本語だけでビジネスができるのは限られている。「天気がいいですね」や「ご機嫌いかがですか」というあいさつ程度の英語ではなく、部下から1時間ほどの報告を受けてもしっかり理解できるぐらいの英語力が必要なのだ。

 一方、実は数学も言語だという。「(野口氏が研究する)ファイナンス理論を念頭に置いたことだが、数学は物事を正確に簡単に伝えるための“言語”。数学を知らない人にファイナンス理論を勉強しろといっても不可能だ。(現状の数学力では)日本の金融立国化は難しいといわざるを得ない」。文系の専門職であっても数学的な素養は必要だという。「微積分のような理系数学まで学ぶ必要はないが、専門分野ごとに数字が分かることが重要だ」と指摘した。

できれば大学院、無理なら勉強会、どうしてもダメならブログに書く

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 英語と数学を学ぶべきなのは分かった。続いては、どのように学ぶかである。早稲田大学の大学院で教鞭を執る野口氏としては、もちろん大学院が「望ましい」。「職場宣伝だが、専門職大学院に行くべきだ」という。専門職大学院とは大学院のうちでも、高度の専門性が求められる職業を担う人物を育成する目的で設立した大学院だ。「今勉強したい人は恵まれている。私が大学生のころはそういう仕組み(専門職大学院)はなかった。新しい分野を専門にしたいという人には環境が整っている」

 なぜ大学院なのか。答えは、有名な教授がいることでも、立派な設備があることでもない。正確にはそういう要素も答えに入るが、それだけではないのだ。「同じ目的や問題意識を持った人が集まっていること。残念ながら本を読んだだけでは(そういう環境を)獲得できない」。周りに同じような人がいて、その人たちとコミュニケーションが取れることは勉強をする上で刺激にもなるはずだ。

 とはいえ大学院に入学するのは、時間も授業料も負担。大学院に行くのが難しい場合、「教える」ことが効果的だという。「教えるのは非常にいい勉強の場になる。ただ勉強会や研究会などの多くは、外部の講師を呼んで一方的に話を聞く場になってしまう。そういった受身ではなく、自分が講師になって教えるということになれば、勉強するし、質問が出てくれば、調べなければならない」

 「教師と学生の“差”は少ないほうがいい」というのが野口氏の持論だ。学校では、教師が20年前に学んだことを学生に教える――というのが実情だが、「本当は昨日学んだことを今日教えるほうがいいのではないか」というわけだ。実際、野口氏が留学していたイエール大学の恩師は、執筆中の論文のテーマを講義で話していた。「一緒に考える学生にとっては迷惑だったが、彼は論文を書き上げるために講義を“利用”していた」と苦笑した。

 教えることは勉強するためのいい手段だが、周りに教える人がいなかったり、そもそも教えるのが苦手な人もいる。そんな人は「ブログを書く」という。ブログを書くことは人に伝えること。正確に伝えようとすれば、自然と勉強もするし、有効なことなのだ。

 もちろん本を読むのも重要。問題はどういう本を読むか。ただ、いわゆるビジネス書よりも、その分野の教科書を読んだほうがいい。「ビジネス書は、単語ごとの意味などの基本的なリテラシーを学べるが、考え方そのものを学ぶことはできない。リテラシーは不要だし、場合によっては有害だと思う。ROIやレバレッジ投資とかその類の言葉を学ぶことがリテラシーということであれば、そういう言葉だけを知ることは何の意味もない。高いROIを目指すことが正しいかどうかが問題であって、その点は教科書に載っている」

 かといってリテラシーが必要な場面もある。「ROIが何を指しているかは知っているべきだ。ただ、それはインターネットで調べればいい」。細切れの知識であれば、Web検索すればいいだけのことである。重要なのは検索だけでやめないこと。「検索対象の意味が分かったら、その分野全体の中でどういう位置付けなのかを調べるべきだ。全体像を載せているのは教科書なのだ」

語学は最後に取っておいてもいい

photo 2010年版「超」整理手帳

 「勉強する目的は偉くなるためです」――中国人や韓国人は素直にそう回答するという。だが、勉強するインセンティブはそれだけではない。「(勉強したい気持ちは)人間がもともと持っている欲求であって、知識が広がること自体が楽しい。下等生物ほど、生まれた直後から自活できるが、生まれたときの能力が高いがそれからは伸びないとも言える。一方、人間は成長段階で急激に伸びる。生まれた後に伸びるということは、環境の変化に適応できるということだ」

 もしビジネス以外で勉強するなら「外国語がお勧め」。「書籍や詩に触れられる。ロシア語の小説は半分ぐらい分かったが、詩はまったく分からない。ドストエフスキーの『悪霊』にプーシキンの詩があって大変感銘したが、岩波文庫のプーシキンの詩集を読んだらまったく違う表現になっていた」と苦笑。しかも、語学は年を取っても勉強できる。「20年ぐらい前に外国語の勉強をしようとしたら、ある人に『野口君、語学の勉強はまだいいだろ、君はまだ若いから』と言われた」という。

 最後に先日2010年版が発売になった「超」整理手帳も取り上げ、「『超』整理手帳は、いろいろなものを挟み込める。語学の勉強はネットから音源をダウンロードできるが、手帳にはテキストを挟み込むのもいい」と語学学習にも利用できる「超」整理手帳をアピールした。

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