再会感動のイルカ(1/2 ページ)

引っ越し屋のバイトをはじめて半年。休みなく働いたのが認められたのか、浩は正社員になった。別れたときよりは、ずいぶんいい顔になったと思う。清美はまだ待ってくれているだろうか。

» 2009年11月06日 14時00分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

前回までのあらすじ

 ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語である。

 主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)は、取り込み詐欺に遭い会社に損害を与えてしまった。その結果、リストラされたあげく恋人の清美とも別れ、酒におぼれる浩。ついにマンションを引き払い、失意のうちに引っ越しするはめに。そんな浩の目にとまったのは、引っ越し業者のチラシに書かれた「バイト募集」の文字だった――。


 引っ越し屋のバイトをはじめて半年が過ぎた。9月の末になっていたが、まだ残暑が続いていた。仕事にはすっかり慣れた。毎日汗水たらして働いているせいか、筋肉がついて脂肪が落ちた。酒をやめているので、体調も良い。

 休みなく働いたのが認められたのか、辞めた人間の代わりに正社員になった。先月のことだ。今では、小さな引っ越しであれば、リーダー格としてバイトを使う身分になった。バイト初日にリーダーだった山下と同等の立場になったのである。

 給料は手取りで、バイトのときの1.5倍ぐらいになった。浩は前から決めていたことを実行することにした。明日は近郊への引っ越しなので、夜の7時には自由の身になる。浩は、深呼吸して息を整えてから、控えてあった電話番号をプッシュした。

 渋滞に巻き込まれたせいで、待ち合わせた新宿の居酒屋には30分遅れで到着した。走ったので少し汗をかいた。店の外にあるトイレで顔を洗って、髪の毛を整えた。別れたときよりは、ずいぶんいい顔になったと思う。清美はまだ待ってくれているだろうか。

 昨日電話したのは、清美の会社にだった。しばらく会わないでおこうと清美に言われてから、すでに10カ月がたっている。別れではないという清美の言葉に一縷(いちる)の望みをつないで、浩は電話したのだった。

 「どうしてるの」という清美の問いには答えず、「とにかく会ってほしい」と伝えた。待ち合わせの店は、たいして高くはないが、個室もある落ち着いた居酒屋だった。いまの浩にはせいいっぱいの出費である。「本当はもっといい店でと思ったんだけど」と伝えると、清美は逆に喜んでくれたようだった。

 店の入り口で、店員に連れが先に来ているはずと告げると、すぐに案内された。清美はビールを飲んでいた。「ひさしぶり……」。浩は声をつまらせてしまった。清美も「ほんとうに」と言ったきりだまってしまった。

 浩は、席につき、店員に生ビールを注文した。

 とにかく乾杯した。浩は、まずは清美の近況を聞いた。

 「どう、会計士にはなれそう?」

 「そうね。もう1年ぐらいはかかりそうだけど、一生懸命勉強してる」

 「仕事は慣れた?」

 「うん。バリバリやってるよ。浩さんは?」

 浩は、名前で呼んでくれたことで、ひとまず安堵(あんど)し、落ち着いた。

 「オレ、あれから海外青年協力隊に入ろうと思ったんだ」

 「へえー」

 「でも、やめた。本気じゃないと自分で気づいたから」

 「あれはあれで、かなりたいへんだしね」

 「うん。それでとりあえず引っ越しして、いま高井戸のアパートに住んでる」

 「そうなんだ」

 「そしたら、引っ越しした日に、引っ越し屋の広告のちらしが入ってて、間抜けだなあと思いながら、見たらバイト募集って書いてあったんで、バイトすることにした」

 「それで、体も顔つきも締まったんだ」

 「うん。とにかく汗水たらして働きたかったんだ。体をいじめていると嫌なことも忘れるからね」

 「引っ越し屋って面白いの?」

 「ああ。オレ、天職を見つけたと思ってる」

 「引っ越し屋が? どうして?」

 「引っ越しってすごいことなんだよ。就職結婚、進学、転勤、新居購入、ぜんぶ人生イベントじゃないか。そのイベントの日に、家にあげてくれて、家財道具一式をあずけてくれて。要するに相手を信頼してないとできないことじゃないか。オレ、こんなにストレートに人に信頼された経験がなかったんだ。だから、バイト初日にこれは今すごいことやってるんじゃないかと気づいて、それでオレの天職ってこれじゃないかと思った」

 「ふーん」

 「頭の単純なやつって思ってるだろ?」

 「ううん、そんなことないよ。すごくうれしい」

 「なんで?」

 「だって、立ち直ってくれたから……」

 清美はいつの間にか涙ぐんでいる。浩は清美が待っていてくれたことを実感した。

 そのとき、浩の胃がぐうーっと鳴った。

 「そう言えば、何も注文してなかったね」。清美が泣き笑いの表情で言った。

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