続ける理由感動のイルカ(1/2 ページ)

一緒に起業した宮本や山崎は辞めていった。迷惑をかける周囲の関係者に頭を下げる主人公の猪狩浩。だが、残った仲間もいる。息子も産まれた。彼らのためにも会社を続けなければいけない。

» 2009年12月18日 12時30分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

前回までのあらすじ

 ビジネス小説「奇跡の無名人」シリーズ第3弾「感動のイルカ」は、アクティブトランスポートの代表取締役CEOである猪股浩行さんの実話に基づく物語である。

 取り込み詐欺に遭い会社をリストラされた主人公の猪狩浩(いかり・ひろし)。引っ越し屋のバイトを始め、いつしか正社員になった。別れた清美とも復縁し、いよいよ起業を志すのだが、仲間はどんどん辞めて行き――。


 もう3カ月、自分の給料はない。従業員の給料だけはなんとか払っている。売れるものはすべて売り、親族など借りられるところからはすべて借りた。事業を続けなければならないので、公共料金は辛うじて支払っているが、いつまで持つのか。

 朝はまだいい。起きれば、働くしかない。働いている間は不安を忘れることができる。怖いのは夜だ。明日の朝も本当に来るのか。明日こそは破綻するのではないか。浩の睡眠時間は、かなり短くなっていた。こんな状況でも、半年前に生まれた子供はかわいくて仕方なかった。どうせ眠れないのだからと、夜泣きをするたびにあやしてやった。

 不思議と宮本や山崎を恨む気持ちだけはわいてこなかった。清美は、彼らをかなり恨んでいた。「あの人たちから少しでもお金をもらってきたら」とよく言われた。

 その都度「そのうち倍稼げるようになるから」とか「いい勉強になったから」と答えていたが、「あなたは、いつも勉強ばっかりしてるだけじゃない」と言われると返す言葉が見つからなかった。

 最初から、宮本や山崎とは続かないのは分かっていた。彼らには理念がなかったからだ。浩の不満は、お客と引っ越し屋がフィフティ・フィフティの関係でないことだった。浩が、フルコミッションの営業をやってうまく行っていたときのことを思い出すと、お客とは必ず持ちつ持たれつの関係だった。

 ところが浩がバイトをしていた引っ越し屋では、お客のいいなりになる者もいれば、お客に対して高飛車な態度を取るものもいた。そうでなく、一生に一度の機会を共有するパートナーという目で見れば、ビジネスとして違う展開があるはずだった。

 お客様の一生の思い出を共有する引っ越し屋――青臭い考えかもしれない――が、浩の理想であり、理想の向こうにはお客と会社の共存共栄があるはずだった。また、理想に生きる社員はもっと輝くはずだという信念もあった。引っ越し屋を誇りに思う社員。そういう社員と一緒に、今までにない新しい事業をやっていく。それが浩の理念だった。今は理想とはほど遠い状態かもしれない。しかし、絶対に自分は間違っていない。理想が実現する日は必ず来る。問題は、それまで持つかどうか。それだけだった。

 こんな状態でも続けている理由はある。

 浩の第一子、翔太が生まれた翌日のことだった。山口始と3人のバイト、つまり全社員が祝いに来てくれた。「おめでとうございます。これ、出産祝いです」。始がリボンのついた包みを差し出した。あまりセンスのいいとは言えない、清美には不評だった出産祝いだったが、浩はとにかく気持ちがうれしかった。

 清美と赤ん坊はまだ産院にいたので、浩は彼らを連れて近くの居酒屋に出かけた。「猪狩さんが父親なんて、なんか信じられないっす」。始が率直に言った。二十歳そこそこだった自分を知ってるやつだからな、と浩は思った。ところがバイトの3人も同じようなことを言う。

 よっぽど父親向きじゃないのか……。浩は、ちょっとがっかりした。この点、浩は素直すぎると言えた。ふつう後輩連中は、20代で父親になったばかりの男に対しては、こんな軽口をたたくものだ。「おまえたち、仕事はどうなんだ? きついか?」。場が落ち着いてきたころ、浩はこう聞いた。「ははは。給料少なくてつらいよな?」。始がちゃちゃを入れた。ノボルと呼ばれている背の高い男が答えた。

 「確かに、給料は少ないんですけど……。なんか照れるな」

 「ん? 言ってみろよ」

 「オレ、けっこういろんなバイトをやってきたんですけど、ここ、なんかほかと違うなあって思ってるんです」

 「オレも、そう思う」

 ノボルとは凸凹コンビと言われているタケシが同調した。

 「ケンはどうなんだ?」。浩がもう1人の無口な若者に尋ねた。

 「んー、ボクも実はそう思ってました。と言ってもバイトはここが初めてなんだけど……」

 「何が違うんだよ?」。始が興味深々という顔で3人に水を向けた。

 「ふつうは、客は客、社長は社長って感じじゃないですか。いや、アットホームな感じの職場はほかにもあったんです。なんか、ここはみんなが対等って感じがあって……。うまく言えないんだけど……」。タケシが言う。

 「お客さんや社長と対等ってことはないだろう」。始が意地悪そうに聞く。

 「うーん、そりゃあタメってわけじゃないですけど、なんだろう、同じ人間っていうか」

 「ぼく、なんかの本で読んだんですけど」。ケンが重い口を開いた。「お客様を神様って思っちゃいけないんだって。人間だから間違いもある、悩みもある、喜びも悲しみもある。そう思って接すると全然違うお客様の顔が見えてくる。それが接客の第一歩だって、そんなふうなことが書いてありました。それが、ここでは求められてる気がします」

 「つーことは、社長も神様じゃないってことだよな」。始が言う。

 「はい。社長は、すごくいい人間だと思います」

 浩はだまってやり取りを聴いていた。そして涙が出てきた。

 宮本や山崎には理解してもらえなかった自分の理念を、こいつらが理解してくれている。別に朝礼で毎朝語っているわけでもないのに、オレの行動を見て理解してくれている。

 自分だってまだ若いのに、最近の若いやつらに自分の理念なんか理解されないと思い込んでいた。ところが、分かってくれるやつは分かってくれてるんだ。

 浩は、たまらず嗚咽(おえつ)を漏らした。

 「おやおや、社長泣いてるよ……」。そう言いつつ、浩の理念も苦労も知っているだけあって、始の目も潤んできた。この男に一生ついていくのも悪くはないかなと改めて思い始めていた。

 浩が、自分の理想が必ず実現すると信じられるのはこの日のことがあったからだ。出産祝いがあったからこそ、つまり生まれたばかりの息子がもたらしてくれたのだと感謝している。それだけではないが、だからこそ息子が可愛くてならないのだ。

 とにかく従業員と家族だけは絶対に不幸にしない。

 信念はゆるぎないが、ビジネスは容赦がない。とうとう家賃が払えない状態になった。近所に住む大家の家に謝りに行かねばならない。

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