ここまでやるかあ?518日間のはい上がり(1/2 ページ)

ついに出版記念パーティーをやることを決め、ますます忙しくなる金田。ところがそんな金田に新たな出会いと仕事が舞い込むのであった。

» 2012年02月24日 14時36分 公開
[森川滋之,Business Media 誠]

連載「518日間のはい上がり」について

 この物語は、マイルストーンの水野浩志代表取締役の実話を基に再構成したビジネスフィクションです。事実がベースですが、主人公を含むすべての登場人物は作者森川滋之の想像による架空の人物です。

前回までのあらすじ

 主人公の金田貴男は起業したが倒産し、1500万円の借金を負う。一念発起して禁煙に“成功”。意外なビジネスチャンスを感じ、禁煙セミナーを開催するも緊張して大失敗してしまった。失意のどん底にあったが、週1回セミナーをやり続けることを決めて金田自身も変わった。「今のとうちゃん、カッコイイよ」――。そんな妻の一言で大いに励まされる金田。大失敗の禁煙セミナーから立ち直り、週1回のセミナー開催を自分に課して継続していたところ、なんと書籍化の依頼が舞い込んできた。とはいえ初めての執筆は難航。しかも販促のためにブログを書け、出版記念パーティーをやれと仕事は増える一方であった。



 2003年は異常気象と言われた年だった。梅雨は8月頭まで続き、梅雨明けとともに猛暑になったと思ったら、とたんに台風がきて雨が降り続いた。野菜がとても値上がりしたらしいが、俺の悩みは本の執筆が進まないことだった。

 出版記念講演をやらないのかと言われて、会場を探そうとしたが、考えてみたら、いつ本が出るかも分からないのに会場を取るのも変だ。そこでとりあえず編集の三田さんに相談してみた。

 「いちおう、出版時期は決めてたんですけど」と三田さん。

 「え!? 何で教えてくれなかったんですか?」と俺。

 「いちおう言っていたつもりだったんですけど、なかなか書けない感じだったので、あえて念押しはしてませんでした」

 「そうでしたか。気を遣わせてすみません。で、いつなんですか?」

 「来年の1月中旬です。それに間に合わそうと思ったら、初稿は12月頭に入れてもらう必要があります」

 げっ! 今が9月頭だから、約3カ月!

 「無理なら延ばしますけど、その場合はいつごろまでにできるか確約してください」と三田さん。

 俺は手元の卓上カレンダーを取り上げた。

 「いや、ずるずるやっていても一緒です。逆に確認しますが、12月5日金曜日までに入稿したら、1月中旬発売を確約してもらえますか?」

 「出来にもよりますが、大丈夫です。遅くとも1月20日には書店に出せます」

 「じゃあ、それでお願いします」

 俺は電話を切った。セミナーと一緒だ。ぐだぐだ言わずに日にちを決めるほうが絶対いい。俺は自分を追い込まないと行動できない人間なんだ。だから、先に締切を決める。

 「となると、出版記念講演は1月20日のあとの週末だな」

 これも早く取ったほうがいい。二重のプレッシャーが、俺にとっては締切に間に合わせるための二重の保険になる。

 都内で100人以上収容できて、講演もできる会場を探した。公民館はまだ予約できないので、ある程度名が通っていて、それほど高くないホテルを探した。どこも土日は結婚披露宴で埋まっていた。10軒ほど電話して、ようやく1月23日の金曜日の夜なら空いていて、価格も手頃なホテルが見つかった。会場のキャパシティーは120人だという。

 場所代だけで2時間で30万円だった。会費として1人2500円ずつ徴収すればとんとん。3000円なら儲けが出る。逆に2000円なら6万円の持ち出し。まあ、会費は後で考えればいい。

 それより、120人も入る会場に30人ぐらいしか来なかったら、かなりみっともないよなあ。やっぱりやめようか……。いや、だけど一生に一度のことだ。ほとんどの人は一生に一度もない機会なんだ。今後の俺のビジネスにも役に立つはず。弱気にならずに集めなければ。ああ、でも胃が痛いなあ。友達いないもんなあ……。

 思いは千々に乱れたが、結局2004年1月23日に俺は出版記念講演をやると決めたんだ。

 それから締切までの3カ月のがんばりは、できれば誰かに誉めてもらいたいものだった。

 セミナーの開催と参加は、習慣になっていたので、以前と同じペースで続けた。そして会う人会う人に、出版記念講演の案内葉書を手渡した。切手は貼ってあり、参加・不参加に○をつけて、送ってもらえばいいようにしていた。

 既に名刺をもらっていた人にももれなく案内葉書を送った。こちらは往復葉書だ。メルマガやブログもこの間継続していた。こちらでも出版記念講演の参加を呼びかけ続けた。これらを続けていたら、応援してくれる人も出てきた。自分の友達も3人連れて行っていいかとか、5人連れて行ってもいいかとかいう人が何人も問い合わせをくれたんだ。

 おかげで11月末までには90人を超える参加申し込みがあり、執筆後のラストスパートで年内に満席にすることができた。

 一方で、もちろん執筆は続けた。締切までほとんど布団で寝ることはなかった。眠気がおそうと風呂に入るかシャワーを浴びることにしたが、気がつくと机の上に突っ伏して寝ていることが多かった。

 10月以降はだんだん寒くなってきたので、椅子の横に毛布を置いといた。やばくなりそうになったら毛布をかぶって執筆を続ける。そのまま気絶してしまっても、毛布だけはかぶっているという寸法だ。でも、たぶん、かみさんが何度か直してくれていたんだと思う。

 ここまで執筆が大変だったのは、俺の遅筆のせいもあったけど、実は1つ仕事が入ったからなんだ。それについてもちょっとだけ書いておく。

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