コラム
» 2012年04月02日 19時12分 UPDATE

成功哲学への素朴な疑問:入社前から罠がある (1/2)

1987年に新社会人になった筆者が入社前に感付いたある“罠”とは……。

[森川滋之,Business Media 誠]
誠ブログ

 実は入社式に関して前から書きたい話があったので、この機会に書くことにした。僕は1987年に新社会人になった。ちょうど四半世紀が経ったのだなあ。

バブル世代と言われるけれど

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 1985年ごろからバブルが始まったという人が多いのだが、それは嘘っぱちである。確かにバブルのきっかけは1985年のプラザ合意だが、このおかげで1ドル240円がたった1年で1ドル120円になり、1986年は円高不況と呼ばれる状況だったのだ。

 当時、大学生の就職活動は4年生になってからが普通。円高不況の1986年は僕にとっての“就活の年”であった。文学部在籍の僕には求人がほとんどない中、何とか某IT企業にもぐりこんだ。当時、文学部の男子学生でIT企業に入るものはほとんどいなかったので珍しがられたのだろう(文系男子学生は求人の対象外だったが、電話して強引に説明会に参加した。その根性も買われたのかもしれない)。

 なぜバブルの話などをしたかというと、このあたりの微妙な年代を把握しておいてもらわないと、今からする話を作り話だと思う人がいるかもしれないと思ったからだ。なにしろ、僕の会社には社員寮というものがあったのだが、それは二人部屋だったのだ!

 バブル景気まっさかりのときに、大手企業を中心に社員寮を整備し、一人部屋はおろか冷暖房完備が普通になったが、それは1988年以降のこと。僕が学生のときは、家賃1万5千円の木造の下宿に住んでいた。エアコンなどはなく、夏は扇風機、冬はコタツと電気ストーブだった(当時住んでいた京都市内ではほとんどの下宿が石油ストーブ禁止!)。京都の夏は暑く、冬は寒い。いま考えるとよく耐えられたなあと思うが、当時はこれが普通だった。それなのに仕送り額の平均は現在と比較しても我々のほうが多かった。今の学生は本当にたいへんだ。なお、仕送り額の推移についてはこちらを参照のこと。

 閑話休題。僕らが入った会社は東阪二本社制だった。入社式は東京だったが、我々大阪配属組の男子新入社員たちは、入社式前日から関東地区にあった3つの寮に別れて宿泊するように命じられた。ちなみに女性はホテル宿泊。男女差別は昔からあったのだ。

一気飲み、麻雀は罠?

 さて、二人部屋の男子寮である。もちろん、あの体育会系のヒエラルキー社会がそこには存在していた。寮に着くやいなや我々は命じられた。荷物を置き、入浴を済ませて、食堂に集合するように、と。当然軍隊のごとき時間厳守である。集合時刻まで約30分、寮の大浴室は真夏の湘南の海水浴場さながら、カオスと化した。

 さすがに肛門の中にタバコを隠していないか調べられたりはしなかったが、そのようなことが起こり得るかもしれないという緊張感が新入社員の間に蔓延していた。

 食堂に行くと食事の準備が終わっていた。けっこうまともなので安心した。ただ、寮長と呼ばれるおじさん(社外から雇われている人だ)が、片手に一升瓶を持っていたのが気になった。我々は“例の洗礼”が始まることを覚悟したものだ。

 大学であろうと会社であろうと新人男子に待っている洗礼といえば、当時は酒を無理強いすることであった。我が社員寮でもそれは予告なしに始まった。

 最初に乾杯して一気飲み。次にそれぞれ自己紹介をしては一気飲み。席にやってきて一升瓶を傾ける寮長にお礼を言っては一気飲み。仕事が終わって帰ってくる先輩社員が望めば一気飲み――。

 今はこんなことはあり得ないと思うが、ほんの20年ほど前までは日本のいたるところで、このような野蛮な儀式が行われていたのである。

 酒に弱い人は、最初の乾杯から順に倒れていく。大学の体育会の新歓コンパではないので、倒れている者に無理強いする者まではさすがにいない。寮長が用意していた3本の一升瓶が空いたのが終了の合図だった。20人近くいた新入社員は4〜5人に減っていたが、サバイバル組には次の試練が待っていた。麻雀である。

 僕もサバイバル組で卓を囲んだのだが、最初の半荘が終わったときに「これは罠ではないか」と思った。そこで急に酔った振りをして、早く寝ることにしたのである。

 案の定、それは罠であった。3つの寮すべてで同じような儀式が行われていたのであろう。何人もの新入社員が、社長訓示のときに舟を漕いでいた。そして、毎年のことなのだろう、人事部の課長はそのような者たちを全員チェックし、休憩時間に名指しで叱ることで、新入社員全員に喝を入れたのであった。

 このような罠を予測していた僕は、二日酔いでかなり苦しかったが、なんとか目を見開いて眠気に耐え、公衆の面前で名指しで叱られるという醜態を避けることができた。

天津小湊の水道水はそんなに危険なのだろうか?

 僕はどうしてこのような罠が予測できたのだろうか? それを説明するには、僕の悲しい臨海学校体験を聞いてもらわねばならない。

 臨海学校。それは小学校を卒業する前の光り輝く思い出になるイベント――のはずだ。しかし、僕にとっては社会の現実を思い知らされ、大人への決定的な不信感を植え付けられる契機となったのだった。僕がこんなひねくれたブログを書いているのも、あの臨海学校のせいなのかもしれない。

 それは「生水禁止」のせいだ。僕にはこの言葉がよく理解できなかった。当時千葉に住んでいた僕だったが、親戚のほとんどは関西。夏休みや冬休みは大阪や奈良で過ごすことが多かった。当然、水道水を普通にコップで飲んでいた。僕のお腹が心配で、水道水を煮沸するような親戚は一人もいなかった。

 だから、臨海学校が開かれる千葉県鴨川市・天津小湊(あまつこみなと)の水も同じだと思っていた。水道水でお腹を壊すという概念が僕にはまったくなかった。インドじゃあるまいし。

 ところが、臨海学校の栞には生水を飲んではいけないと明記してあった。事前説明会でも、生水は飲んではいけないと注意を受けた。決定的なのは到着直後である。旅館のご主人の訓話で、生水は絶対にダメだという。その代わりにお茶を水がめに入れて冷やしておくから、それを飲めという。

 天津小湊の水道水はそんなに危険なのだろうか? ここまで言われても、僕には半信半疑だった。そして、そのような児童は僕だけではなかったようだ。たぶん、毎年何人かいるのだろう。しかし、学校の方針は生水禁止だ。教育機関の意地に賭けても、方針は貫徹されなければならない。

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