“ドラえもん学”って知ってる? あの「スネ夫」から学ぶ処世術とは?『「スネ夫」という生き方』(2/2 ページ)

» 2012年09月03日 13時55分 公開
[まつもとあつし,Business Media 誠]
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なぜ「スネ夫」なのか

――それにしてもそういった秘密道具やそれを出してくれるドラえもんではなく、のび太やスネ夫の「生き方」に注目したのはユニークですね。

横山 さきほどのび太の登場回数がドラえもんよりも多いということは紹介しました。ドラえもん学では直接の研究対象にはしていませんが、劇場版でもタイトルが「のび太の○――○――」となっているくらい重要なキャラクターです。ある意味“コーチ”役のドラえもんにとって教え甲斐のある最高のパートナーであり、邂逅だったとも言えるんですね。藤子・F・不二雄先生の頭の中には現代のいじめや不登校までは想定していなかったはずですが、ドラえもんという素晴らしいコーチとの出会いがあったからこそ、のび太はさまざまな困難を克服することができたのだと思います。それはドラえもんや道具に頼る、ということではなくドラえもんによって自身の未来の姿が提示され、それに勇気づけられた面が大きかったのです。

――現実世界にはドラえもんは居ないけれど、優れたコーチを求めたり、あるいは大人たちがそういう存在にはなり得る。あるいはのび太的な生き方に一種のロールモデルを見いだすことができるはず、ということでしょうか?

横山 そうですね。血はつながっていないけれど相談に乗ってくれる、いわばメンター的な存在であるドラえもんは身の回り、例えば担任以外の先生や地域社会にはきっと居るはずで、彼らとコミュニケーションを取ることができればさまざまな問題と立ち向かっていけるということを、特にいじめが問題になっている現代では強調したいと思いますね。

――なるほど。シリーズ第2弾としてスネ夫を取り上げたのは何故なのでしょうか?

横山 私はスネ夫が登場したことによって間口と奥行きが拡がり、ドラえもんは「大人が読んでも楽しめる作品」になったと考えています。スネ夫はある意味、1970年から1995年という日本が一番豊かになった時代に人生を送っています。消費時代の申し子なんですね。

 そのスネ夫は作中のさまざまな場面で、のび太に対して非常に厳しく当たります。仲間はずれにするし、モノは貸してくれない。わたしはもしドラえもんがのび太の側に居なければ、スネ夫はこれほど酷くは当たらなかったと思うんですね。スネ夫にとって「モノ」が彼の存在を決定する最大の要因になっているのに、ドラえもんが出す秘密道具にかなわないからです。自分らしさが全否定されてしまうように感じてしまっているんですね。逆にドラえもんがおらず、秘密道具に頼れないのび太には必ずしもきつくあたらない。そしてしずかちゃんに対しては非常に優しい。それがスネ夫の本来の姿だとわたしは考えています。

――単純にのび太に嫌がらせをする嫌な奴、というわけではないわけですね。

横山 陰険な腰巾着のような否定的な見方もありますが、あのジャイアンですらスネ夫には一目を置いているんですよね。対立することもあるけれど、決定的に仲間割れすることはない。互いの良いところを尊重し合っているとも言えるでしょう。またジャイアンのようなガキ大将が側にいるからこそ、スネ夫ののび太に対する一種いじめも、現代のような陰湿な一線を越えることはない。ブレーキが掛かるんですよね。のび太の側にも一緒に怒ってくれるドラえもんのような存在があり、のび太も反発する元気を失うことはないのです。ドラえもんに登場するような子供たち、これをギャングエイジと呼んだりしますが、このようなコミュニティ――土管のある広場、というのがそれを象徴する存在ですが――が成立している中ではいじめがコントロールされていることも興味深いポイントです。

スネ夫はMCだった!

――『「スネ夫」という生き方』では「すごい奴」とまで先生はスネ夫を評価しています。それはいまお話にあったジャイアンとも上手くつきあえる処世術を指している、ということでしょうか?

横山 データベースに入力した作中の彼の言動から学べることは実は多いんです。一種ロールモデルになるべき存在とも言えるでしょう。スネ夫はMCなんですよ。

――MCですか!

横山 そうです、Master of Ceremonyですね。彼はね、祝祭空間をその場に作り出す達人なんですよ。例えば旅行中の情景をしずかちゃんに伝える際にも詩的に情感豊かに表現できるからこそ、彼女もついそこに行きたくなってしまう。札幌ラーメンの魅力を聞かされたジャイアンは思わずよだれを垂らしてしまうわけです。

――スティーブ・ジョブズにも通じる「プレゼン力」ですね(笑)

横山 それも対象に対してよく勉強しているからこそです。しかも相手がついその気になるような計画も練っているわけですね。ドラえもんをよく読むと、あらゆる登場人物から信頼されていることが分かります。堺屋太一氏は「21世紀は知価社会だ」と指摘しましたが、まさにスネ夫はそれを先取りしているような存在とも言えるでしょう。

 スネ夫にもコンプレックスがないわけではありません。作中でも彼が自分の背が低いことを気にしている場面がたびたび登場しますが、それを言わば持ち前のセンスと、努力によって克服しようとしていることを読み解きたいですね。スネ夫はジャイアンに計15回ラジコンやマンガなどを奪われていますが、それでもそれを引きずることなく、逆に彼の信頼も勝ち得ているわけです。

――まさに「ドラえもん」には現在難しい環境に置かれている私たちも学ぶことができるヒントが散りばめられていると言えそうですね。

横山 そうですね、ぜひ通して読んでほしいと思います。皆さんドラえもんはもちろんご存じなのですが、てんとう虫コミックスを全巻読んだという方は意外と少ない。特に若い人は顕著です。名作選のような形で改めて出版もされていますが、雑誌の付録として掲載された作品は国会図書館にも実は収蔵されていません。現在「ドラえもん文庫」に加え、長編17巻も含めて収集し出来るだけ多くの子供たちに読んでもらえるよう児童館などへの寄贈活動も進めています。

 『「のび太」という生き方』『「スネ夫」という生き方』では、彼らの作中での行動や言葉を、巻数・ページ数とともに紹介しています。ぜひドラえもんという学びの多い現代の古典を、本書とともに再び読み解いてほしいと思います。

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