田中角栄の一撃に見た――相手の心をつかむ「超」説得法一撃「超」説得法(4/4 ページ)

» 2013年05月10日 10時00分 公開
[野口悠紀雄,Business Media 誠]
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角栄の一撃、日本の命運を決す

 「それでもお前は頭取かっ!」

 以下では、田中角栄による一撃説得のエピソードを紹介しよう。田中角栄は、1972年から74年までの日本の首相。高等教育を受けずに首相になった経緯から、「今太閤(いまたいこう)」と呼ばれた。首相就任後、日中国交正常化など数々の重要な業績を残したが、贈収賄事件(ロッキード事件)で逮捕された。しかし、政界に対する影響力は衰えず、「闇将軍」と呼ばれた。「金権政治」との批判も強く、毀誉褒貶(きよほうへん)の激しい政治家だった。ただし、数々の重要局面において、利害が錯綜する難題を一撃で解決したのは事実だ。

超人的パフォーマンスで度肝を抜く

 実はこれより少し前、私自身が角栄の「一撃瞬間説得術」を垣間見たことがある。それは、大蔵省入省式でのことだ。新入生20人が大臣室で一列に並んで、大臣の入室を待つ。

 現われた角栄大蔵大臣は、並んだ新入生の端から1人1人に握手して「やー、○○君。頑張りたまえ」と声をかけ始めた。そして、20人のすべてに、1人も間違えずに呼びかけたのだ。メモなしで。また、秘書官がそばについて耳打ちしたわけでもない。田中大臣は、20人の姓名を1人残らず正しく記憶し、顔と一致させていたのである。この驚くべきパフォーマンスに、われわれは度肝を抜かれた。

 握手が終わると、大臣訓示だ。田中角栄は次のように言った。

 「諸君の上司には、ばかがいるかもしれん。諸君の素晴らしいアイデアが理解されないこともあるだろう。そんなときは、オレが聞いてやる。迷うことなく大臣室を訪れよ」(もちろん、この誘いに乗って、のこのこと大臣室に出かけた者はいなかったが)

 この日、田中角栄は、われわれに次の2つのメッセージを伝えたのだ。

 第1に、彼が極めて能力が高い人間であること。彼はそれを、20人の名を1人も間違えずに呼びかけることで、印象的に示した。

 第2は、「オレは、君たちと同じ仲間だ」「オレは君たちの敵ではなく、味方だ」というメッセージだ。名前を呼んでくれたのだから、よそ者扱いされたわけではない。そして「大臣室に来てもよい」と言った。これらは、仲間性の明白な宣言だ。しかも、「仲間の中でも重要なメンバーだ」と言ってくれたわけである。社会に出たての若造が感激しないはずはない(もっとも、「大臣室に来い」は、他の場所でも連発しているリップサービスであることを、後になってから知った)。

 パフォーマンスに強い印象を受けた新入生は、それを上司や先輩や友人に話すだろう。そうすれば彼のメッセージは、大蔵省全体どころか、社会に広まるだろう。そのことは、政治家としての田中角栄にとって、大変意味があることだ。周到に準備され、最適のタイミングを見計らって打ち出された一撃だったのだ。


 次回は、一撃説得の重要性を感じたもう1つのエピソードとして、私が1993年に出した『「超」整理法』の命名を振り返ってみたい。

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