僕が19年勤めた会社を辞めた時、後悔した12のことICHIROYAのブログ(2/2 ページ)

» 2013年11月07日 11時00分 公開
[和田一郎,Business Media 誠]
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6.できない上司、嫌いな上司に優しくすればよかった

 失礼ながら、どう考えてもできないと思われる上司に仕えたこともあるし、頭は良くてもあまりにも利己的で人間的に好きになれない上司に仕えたこともある。

 慣れない業務で四苦八苦している上司に仕えたこともある。

 そんなときの僕は、優しくなかった。まったく、優しくなかった。とても後悔している。

7.「あの人のようになりたい」という人を、もっと早くみつければよかった

 サラリーマンは上司を選べない。だから、入社して最初に仕える上司が、その後のサラリーマン生活に与える影響は大きい。

 先に書いたように会社の価値観に染まるものかと思っていたので、心底、「あの人のようになりたい」という人物に出会ったのは、入社後何年も経ってからであった。

 社内事情に興味を持っていたら、もっと早くそういう人と出会えたのでは、と思うのだ。

8.男気なんてゴミ箱に捨てればよかった

 会社の価値観にも染まらず、「自分が唯一無二である自分である」と思うためには、「筋を通す」「意味のない指示などには反対する」「部下を守る」「取引先との約束を守る」などということが重要であった。

 どうせ会社は自分のことを評価してくれないと思うと、そういう考えがさらに強くなり、身体の芯に凝り固まったような気がした。

 まったくもって、馬鹿だった。もっと柔軟に、もっと上層部の意向を理解して動けばよかった。

9.もっと勉強すればよかった

 特に若いころ、もっともっと勉強すればよかった。

 経営陣が突きつけられていることをもっとリアルに実感できるよう、勉強することは山のようにあった。それなのに、ただ漫然と日経新聞を読み、ランダムにビジネス書を読んで勉強した気になっていた。

 何を勉強したらいいのか、どこを着地点として目指すべきなのか、分からなかったのかもしれない。

10.できる評判を得たいがために、長時間働き続けなければよかった

 課長ぐらいのとき、めちゃくちゃ仕事をした。ほとんど会社を休まなかった。

 なにかで大きな成功をしたあと、また、「次も次も」と、抱えきれない仕事を自らに課して、狂ったように仕事をした。不健康だったし、家族との関係もまずくなった。

 短距離走ではなく、マラソンであるという認識を、しっかりと保つべきだった。

11.同期が先に昇進したとき、笑って忘れればよかった

 今から思えば、昇進に遅れることは、なんら不思議ではない。でも、当時はどうしても飲み込めなかった。狂ったように働いている最中だったので、余計に飲み込めなかった。

 飲み込めないことが、さらに僕に悪い影響を与えた。周囲からすれば、「おまえごときが何を思っているのか!」ということだったのだろう。

 飲み込む、あるいはすくなくとも、完璧に飲み込んだふりをすればよかった。

12.社内での自分の評判に、もっと気を使えばよかった

 そんなこんなで僕は、会社の中で「使いにくい頑固な変わり者」になってしまった。社内のこんな評判やイメージは、もはや自分から引きはがすことはできなかった。

 社内、あるいは業界内でも同じだが、いったん自分についたイメージというのは、相当なことがない限り変えることができないのだった。

 僕は自分のイメージを、社内へ伝える重要なメッセージの1つとしてもっと慎重につくりあげるべきであった。

番外:もっと早く辞めればよかった

 ここまで読んだ大方の人は、「そりゃおまえ、サラリーマンとしては、ダメやわな」という感想を持ったことだろう。

 上を目指してがんばっている若い人は僕のように馬鹿じゃないだろうけど、1つでも思い当たるところがあって、「そうかもな」と思ってくれたらうれしい。

 でも、僕の個人的なあくまで超個人的な結論は、これだ。

 もっと早く辞めればよかった。

※ 反響が大きかったため、ここに追記記事を執筆しました。

著者プロフィール:和田一郎

アンティーク・リサイクル着物を国内外へ販売する「ICHIROYA」代表。昭和34年生まれ。京都大学水産学科卒業後、大手百貨店に入社。家庭用品、販売促進部など。19年勤めたのち、2001年に自主退職して起業。現在に至る。趣味はブログ執筆。


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