サラリーマンの時、どうやって勉強すればよかったのかICHIROYAのブログ(2/2 ページ)

» 2013年12月27日 11時00分 公開
[和田一郎,Business Media 誠]
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 若いころ、自分は司馬遼太郎のファンであるにもかかわらず、時代小説を読むオヤジたちが嫌いだった。時代小説を読んで、生き方を学ぶとか、ぞっとした。今では、そんな不遜な若いころの僕に、ぞっとする。

 人間や組織のあり方に関する知恵は、どれほど学んでも、「ここで習得・卒業」ということはない。毎日の業務でそれを学ぶこともできるが、本を読むことで学ぶこともできる。

 体験談やノンフィクションもいいだろうし、ブログでもいいと思う。そして、今見直すべきは、小説を読むことの有用性ではないかと感じている。

 仕事に焦っていたころ、小説というのはしょせんフィクションであり、エンターテインメントであると思い込んでいた。だが、やはり、よくできた小説を読むという行為は、人間や組織について知るよい勉強なのだ。

 ノンフィクションや実話の場合、どうしても書けない部分や、粉飾された部分があり、ノンフィクションとはいうものの、心の中のことは、逆にフィクションになってしまう場合がある。小説は、事実関係はフィクションでも、登場人物の心理描写をありのままに書ける分、より本物に近い人間を描き出せる。読者として、登場人物の苦難や喜びをリアルに体験できるのだ。

 僕の昔の上司で偉くなった人は、酒席の付き合いもよかったが、通勤時間に必ず多種多様な本を読んでいた。よく小説を読んでいるところを見かけたが、自己啓発本や、ビジネス本の新刊売場に並んでいるような本を読んでいるのを見た覚えがない。間や組織のあり方を深く知ろうとすれば、小説も読まなければならないのである。

“根源的な欲望”から出てくる楽しみや好奇心を失わない

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 仕事とは直接関係はないが、自分が生涯続けていけるような勉強のテーマを見つけて、それを続けるのも大事なことだ。

 うちでしばらく働いていたOさんは、カズオ・イシグロなどの熱烈なファンで、それを原書で読むのが趣味だった。「英語は読むだけで、メールなどを書くことはできません」と話していたが、英文メールを書いてもらうと、TOEICで高得点を取っているほかのスタッフにも書けないような格調高い文章がスラスラ出てくる。女の趣味の読書は、血肉となって、自然と彼女の英文に出てくるのだった。

 それは英語やそのほかの語学である必要はない。映画が好きで好きで仕方がなければ映画の研究でもいいと思うし、Jazzの歴史と広がりをとことん楽しむことでも、剣の道を極めることでもいいと思う。それは、「趣味」にとどまらない、もう少し“自分の根源的な欲望”から出てくる楽しみや好奇心であり、人生のサブテーマといってもいいようなものだ。

 仕事に入れ込んでただただ忙しく日々を送ってしまうと、誰でも持っていたはずのそうした欲望や好奇心を失ってしまいがちだ。だが、あえて時間をつくってでも、そういったものを追い続けたほうがいいと思う。それは、いつか仕事に役立つときが来るかもしれなし、定年退職や窓際に追いやられてしまったときなどに、人生の次の柱になり得る。

 僕の場合、大学時代にやっていたスポーツ(アイスホッケー)はきっぱりとやめてしまったし、小説を読むこともやめてしまい、映画に対する熱意も失ってしまった。忙しいからと、自分で、次から次に、その扉を締めてしまった。いったん扉を閉じてしまうと、その扉は錆びついてしまって、なかなか開いてくれないのだ。

 長々と書いてきたが、今から思えば、そんな風に勉強すればよかったなと思う。若い人には長い時間があるので、自分なりの勉強方法をみつけてコツコツ長く続けてほしいものだ。

著者プロフィール:和田一郎

アンティーク・リサイクル着物を国内外へ販売する「ICHIROYA」代表。昭和34年生まれ。京都大学水産学科卒業後、大手百貨店に入社。家庭用品、販売促進部など。19年勤めたのち、2001年に自主退職して起業。現在に至る。趣味はブログ執筆。


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