きつい仕事でも前向きに――夢があるから取り組めるやる気がわいてくるたった1つの方法

ユニ・チャームの創業者・高原慶一朗は、傍から見ればきつくてつらい仕事も楽しくこなせたという。理由は「起業したい」「日本一のメーカーになりたい」という目標があったからだ。

» 2014年06月17日 11時00分 公開
[榎本博明,Business Media 誠]
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連載「やる気がわいてくるたった1つの方法」について

『やる気がいつの間にかわいてくるたった1つの方法』

本連載は、心理学博士・榎本博明氏著、日本実業出版社刊『やる気がいつの間にかわいてくるたった1つの方法』から編集転載しています。

「日曜の夜は憂鬱(ゆううつ)になる」「自分に合った仕事に巡り会えればきっと仕事を楽しめるのに」――そう考えている人たちに向け、「自分に向いている仕事さがし」ではなく自分の「仕事づくり」のコツとして仕事を意味づける“ストーリー”をキーワードに解説しています。

そのコツを習得すれば、転職することなく、今の仕事に対して自然にやる気がわいてきて、仕事を楽しめるようになるといいます。

どうせ働くのなら、楽しみながら働くコツを身につけてみるのはいかがですか。


 ユニ・チャームの創業者・高原慶一朗は、物心ついたころから、経営者になりたいという夢を持っていたという。大学を出た後、サラリーマン生活をしながらも、30歳になったら独立しようと本気で考えていた。そのため、会社生活からありとあらゆることを貪欲に吸収しようとした。

 最初に勤めた会社では、夜勤も休日出勤も自ら買って出て、猛烈に働きまくった。「ええカッコしやがって」といったやっかみの声も耳に入ってきたが、別にカッコつけたわけではない。ただただ仕事が好きだったのだという。将来独立するために何でも吸収しようといった意欲が旺盛で、分からないことは誰彼かまわず捕まえて聞く質問魔だったため、知識がどんどん増えていった。

 (写真はイメージです)

 原材料係から、希望して営業に異動すると、早朝から深夜まで外回りをした。それでも疲れるどころか楽しくてしようがなかった。それは、創業経営者になるという夢を持っていたからである。やがて独立して起業するための修行の期間であるというように、今を位置づけていたからだろう。

 29歳で独立し、防火建材の製造・販売の会社を起業して、長年の夢を果たしたが、高原はそこで終わらなかった。「独立したい」というストーリーから、「日本一のメーカーになってみせる」というストーリーに切り替わったからである。そうしたストーリーを持てたため、社長とはいえ、社員の先頭に立って50キロものセメント袋を担ぎ、大型トラックを運転し、鼻や耳、爪にたまる木くずやセメント粉をものともせずに働いた。

 やがて、その業界では日本一のメーカーになったが、満たされない思いがあった。それは、高原が思い描いていた起業とは、社会や消費者が欲しがっている商品やサービスを提供すること、あるいは改良を迫るものや潜在需要の大きいものを探して提供することだった。建材は、そのようなものとはいえなかった。

「自分の情熱や人生を賭けるものはもっとほかにあるはず」

「消費者が直接購入する最終商品を作り、日本一になりたい」

 そういった焦りにも近い渇望感を募らせていた時に、生理用ナプキンに出会い、そこから大きな方向転換を行い、ついに生理用ナプキンや紙オムツのトップメーカーであるユニ・チャームへと発展していったのである。

 高原は、できる人間は仕事が好きな人間だと言い切る。仕事をしていれば辛いことや苦しいこともたくさんある。でも、寝食を忘れて没頭し、持続していれば、やがて楽しさや充実感に変わり、仕事が好きになる。仕事ほど自分を磨き、成長させてくれるものはないという(村橋勝子『にっぽん企業家烈伝』日本経済新聞出版社)。

 では、なぜ寝食も忘れて没頭することができるのだろうか。それは、「経営者になる」、その後は「日本一のメーカーになる」、さらには「消費者が直接購入する最終商品のメーカーとして日本一になる」といったストーリーを持っていたからである。

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