マンガ『東京トイボックス』に学ぶ、ブラック企業とクリエイティブな熱狂集団を分けるたった1つの違いサイボウズ式(2/3 ページ)

» 2014年07月04日 11時00分 公開
[サイボウズ式]

気をつけないといけない副作用

梅崎: ただ、集団で沸騰状態になるのを繰り返してくと副作用も出てきます。お祭りの時期なら沸騰する期間が決められていて、そこで沸騰を起こして日常に戻るというパターンですが、それを仕事である程度作為的に作り出すには限度があります。あまりにもテンション高くやっていたら、仕事中毒で燃え尽きてしまうこともある。

 なので、この沸騰状態をうまく組織で生かしていくには、どうコントロールするかを考えるのがクリエイティビティを生み出すチーム作りの第二段階になってきます。しかし、沸騰をコントロールするというのは難しいし、無理矢理に肉体的限界を超えて集団を沸騰させると、それはブラック企業となってしまいます。

 うーむ。ブラック企業の定義は難しいですが、法令に違反して労働者を酷使したり、必要以上に従業員の時間を拘束したりする会社に使われる言葉です。中には自殺に追い込まれる人もいるため、政府の産業競争力会議でも対策が検討されています。

 一方、会社の成長期や世界をあっと言わせる商品を作るためには、法律の範囲内で、どこか「無理」をしたり「熱狂」する必要もある。特に、コンテンツ産業が経済をけん引することが期待されている日本では、こうした「集団的沸騰」を労働者の人権侵害ではなく、「クリエイティブなビジネス」にうまくつなげていくことが求められています。

「集合的沸騰」を「クリエイティビティ」に変化させるために

梅崎: 集合的沸騰を創造的な沸騰に変えるのって、実は難しいんです。もちろん『東京トイボックス』のようなゲーム制作の現場においてはクリエイティブなものを作り出さなくてはいけないわけですが、集合的な沸騰の中には、クリエイティブのあるものとそうじゃないものがある。

 ちゃんと集合的な沸騰をクリエイティブに繋げるためには、幼児性、分かりやすく言えば「子供っぽさ」がカギとなるんです。

 ふむふむ。ですが、梅崎先生から新たに出てきたキーワード「子供っぽさ」は、どうやら取り扱いには注意が必要なようです。

梅崎: 集団が沸騰するときに「子供っぽさ」を軸にすると、クリエイティブなものができてきます。主人公の太陽も子どもの頃からずっとゲーム好きで、大人になることを拒否してそれを基本的な軸として持っている。

 それを仙水伊鶴(太陽の幼なじみでゲーム業界最大手ソリダスの局長)も評価していて、太陽の子供っぽさが集合的沸騰の真ん中にあるときにクリエイティブなものが生まれるのです。しかしここに第二の危険性が潜んでいます。

社会から嫌われる「子供っぽさ」

梅崎: 集団の沸騰状態をずっと続けると燃え尽きてしまう危険性を冒頭で指摘しましたが、第二の危険性というのは、子供っぽさや幼児性というのは社会的ルールの外にあるもので、不道徳という批判が出てくる恐れがあるということです。

 でも、例えば暴力や性的表現が最初から規制されているマンガなどはクリエイティビティではないんですよ。イリーガルなコミュニケーションの中で、すごい作家やクリエイターが出てくることはありえるし、既存の価値観や法律・道徳から度外視されているから、子どもっぽいことができる。

 クリエイティブなものを生み出そうとするとき、どれがよくてどれがダメだという基準は、はっきり言ってないんです。なので、暴力表現や性的表現など社会的にはダメだという危険性はあるけれども、そこをうまく調整しながら、社会的な大人フィルターを外してあげて幼児性や子供っぽさを全開できる場所を作らないと面白いものは出てこないですね。

 「クールジャパン」をリードするマンガやアニメも、土台にあるのはそういう規格外のコミュニケーションであり、文化なのですね。どこか不真面目さとか、突拍子もなさ、汚さ、エロさがクリエイティビティには必要なのかもしれません。

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