地方交通救済の最終手段は「15歳から運転免許」かもしれない杉山淳一の「週刊鉄道経済」(2/3 ページ)

» 2015年08月07日 08時00分 公開
[杉山淳一ITmedia]

風呂も交通手段も「公有から私有へ」

 鉄道は地域の人々にとって重要な交通手段であった。いや、唯一の選択肢といってもいい。川船、馬車などの交通手段から鉄道へのシフトが起きて、川船や馬車は廃れた。参詣や原料輸送、製品輸送など、さまざまな目的で鉄道が敷設され、大きな利益を上げた。その最たる例が「小林一三モデル」だ。都市と郊外を鉄道で結び、都心にデパート、郊外にレジャー施設や学校を建てる。平日は通勤・通学輸送、休日は買い物客とレジャー客を運ぶ。

 地方の駅は銭湯と同じ誘客施設と言える。駅があれば通勤客が家を買い、住民の買い物のために駅前商店街ができる。しかし、この鉄道の利益構造も、自動車の普及によってさま変わりする。銭湯にとっての家庭風呂と同じで、鉄道にとってはマイカーである。つまり、それまで地域で共有していたサービスが、家庭単位で保有する図式になったわけだ。そうなると鉄道の利用客は減っていく。

 銭湯と駅の違いは都心部だ。マイカーによる交通渋滞や駐車場の確保が難しく、誰もが自前で交通手段を行使する状況にならなかった。しかし地方はマイカーが普及した。交通手段の私有化だ。一家に1台どころか、一人1台の時代である。数としては風呂よりも多く普及しており、銭湯よりも地方鉄道の経営は厳しい。乗客は減る一方。そうなると事業の公共性も薄れ、利用者が少ないのに公金を投入して維持すべきか、という議論になる。この文章は前ページの末尾のコピペである。そのくらい共通している。

 銭湯と地方鉄道の共通点はもう1つある。高齢化社会によって、実は利用客が増える可能性がある。叔父の銭湯の周辺には、風呂屋があるから、という理由で移り住む人もいるようだ。年寄りにとって銭湯代は高いけれど、家庭風呂の維持負担は大きい。掃除も重労働だし、燃料費も高騰している。地方鉄道の場合は、クルマの運転技術の衰えによって免許証を返納する高齢者がいて、公共交通に戻ってくる。

地方鉄道の輸送人員の推移。近年はわずかに上昇しているが、総じて右下がりである 地方鉄道の輸送人員の推移。近年はわずかに上昇しているが、総じて右下がりである

 いざ高齢者が銭湯や鉄道に戻ろうとすると、銭湯も鉄道も廃業の危機である。銭湯がないから、高齢者向けの介護入浴サービスがある。高齢者のためにコミュニティーバスや乗り合いタクシーを自治体が支援する。本人負担も自治体負担も増える、という結果になる。

 銭湯にも地方鉄道にも未来がない。しかし、視点を変えてみよう。銭湯や地方鉄道がなくても、高齢者が快適に暮らす社会は構築できるのではないか。

 銭湯は介護サービスやデイケア施設など代替施設がある。最近の若い人は、銭湯代わりにスポーツクラブに入会して、シャワーやジャグジーバスを楽しんでいるらしい。お年寄りも利用すればいい。

 地方鉄道はどうか。過疎地域における鉄道の存在理由に「通院と通学」が挙げられる。鉄道はバスと違って定時性があり、同時に多くの人を運べる。しかし、視点を変えると、通院と通学問題を解消すれば鉄道もバスも不要となる。

 通学の不便を解消するための決定的な方法がある。自動車運転免許取得年齢の引き下げだ。現在、原動機付自転車免許は16歳から取得できる。これを、全員の高校進学年齢に合わせて15歳からとし、原付自転車だけではなく、普通乗用車の免許も取得できるようにする。選挙権取得年齢も下がることだし、次は運転免許年齢を下げたらどうだろう。

 つまり、通学交通手段を「公有から私有へ」モードチェンジさせてしまう。もちろん高校は二輪通学を解禁し、駐車場を整備する。地方なら駐車場整備は容易だし、離れた場所に拠点駐車場を作って学校までシャトルバスを運行する方法もある。通学バスを区域全域に運行するよりもコストは低いだろう。

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