ご存じの方も多いだろうが、学校の運動会というのは、軍隊にルーツがある。
1874年、東京・築地の海軍兵学寮で英国人の提唱で開かれた「競闘遊戯会」が次第に広がったということもあり、騎馬戦、棒倒しなどなど軍事訓練の名残が色濃く残る。隊列を組んでザッザッと行進をしたり、「前へならえ!」「休め!」というかけ声で統率をされるのもそのためだ。
組体操も然りで、もともとは日々鍛錬した肉体の優越さを披露する目的はもちろん、「我が軍はしっかり統率がとれていますよ」というアピールに使われた。
だから、軍隊内の虐待やらにはよく人間ピラミッドが出てくる。例えば、2011年9月、陸上自衛隊第2師団で、陸士長11人が2等陸曹から暴行を受けていたのだが、ここでは6人に人間ピラミッドを組ませ、お尻にアイロンを当てるという「かわいがり」をしていた。
イラク戦争で米軍がアブグレイブ刑務所に収容されている捕虜を虐待していたときも、裸にひんむいて人間ピラミッドを組ませ、それを写メに収めている。
そう聞くと、「こいつは運動会の人間ピラミッドは児童虐待だとか批判したいんだな」と思われるかもしれないが、そういうつもりはない。客観的事実として、「人間ピラミッド」には「組織秩序」を教育する効果があり、それを日本の小中学校では応用しているということが言いたいのだ。
専門家もそうおっしゃっている。スポーツジャーナリストの増田明美さんは、2015年9月22日の『産経新聞』で、運動会における「団体競技」の必要性について、このように述べている。
全体主義も行き過ぎては問題だが、個人の権利が声高々に言われ過ぎても社会はまとまらない。個性を自ら押し殺して、社会全体のことを考えなければいけないときもあると思う。資源を持たない日本が戦後70年でここまで発展できたのは、モノ作りに打ち込み、ひたむきに働いてきた先輩たちのおかげである。個性を発揮しなくても、社会を支える重要な仕事を担ってきた。
つまり、「人間ピラミッド」というのは、自己中心的で世間知らずの子どもたちに「組織のために個性を押し殺す」ということを教育する機能があるのだ。
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