ミャンマーの「女帝」アウンサンスーチーはなぜ嫌われるのか世界を読み解くニュース・サロン(4/5 ページ)

» 2016年04月07日 08時00分 公開
[山田敏弘ITmedia]

“独裁ぶり”を指摘する意見も

 署名運動の説明文にはこうも書かれている。「スーチー、イスラム教徒の何が悪いのか? 民主主義と人権の問題は、私たちに考え方の違いを尊重し、兄弟姉妹愛を歓迎することを教えてくれるのではなかったのか? どんな宗教であっても、スーチーと私たちすべては、お互いを尊重しあい、人間を差別しなうようにすべきではないのか?」

 この騒動はサウジアラビアのアルアラビア紙でも取り上げられている。ロヒンギャについて研究する著名な政治学者が寄稿し、ロヒンギャ問題を解決するのにスーチーは「あまり期待できない」と指摘する。そして「“レディ(スーチーのミャンマーでのあだ名)”は、私たちが期待するノーベル平和賞受賞者とは言えない」と述べている。

 スーチーへの批判は、こうした人種問題だけに収まらない。実は最近、彼女の“独裁ぶり”を指摘する意見も出始めている。

 皮肉なことに、民主主義を標榜する与党NLDは、スーチー1人によるトップダウン型の独裁的な政党だ。スーチーがすべての決定権を固く握っており、物事は彼女の意のままに進む。米AP通信は、専門家の中にはスーチーを「民主的な独裁者」と呼んでいる者もおり、「NLDは民主的な政党ではない」と指摘している。事実、スーチーは自分がティンチョー新大統領を含めたすべてをコントロールすると発言しており、大統領自身もスーチーがすべての重要な決定を行うと公然と認めている。

 スーチーは外相、大統領府相、大統領報道官を兼任し、さらには「国家顧問」なるポストを新設して絶対的な権力を維持しようとしている。つまり、与党NLDのすべてを完全掌握するスーチーが、国家の頂点に立ち、自分の意のままに国を動かせることを意味する。まさに「女帝」である。

 これは、軍事独裁政権から解放されたミャンマーに、新たな“独裁者”が生まれたということなのか。イスラム教徒問題にからんですでにそのバランス感覚を問題視されているスーチーが、“独裁者”として君臨するのは、ミャンマーにとっていいことなのだろうか。

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