当時は記者になりたてでとにかく無我夢中だった。ボンネットから火がでたというデリカユーザーに話を聞いたり、経営陣の乗った三菱デボネアを追いかけ回したりしたことしか覚えていないが、ひとつだけ強烈な印象に残ったのが、当時の三菱自動車を覆っていた強烈な「セクショナリズム」だ。
例えば、会見で、当時の河添克彦社長は当初、意図的なリコール隠しを全面否定していた。しかし記者たちにそんなわけないだろと吊るし上げられると、たまらずひとりの幹部が、リコール隠しを認めてしまう。
「報告と違うじゃないか」
記者たちの前で動揺して幹部に問いただす社長の姿は、「君、それは本当か?」と工場長に詰め寄った雪印乳業の石川哲郎社長と丸かぶりだった。
その後、小説『空飛ぶタイヤ』のモデルになったタイヤ脱落事故も起こした2004年のリコール隠しでもこの流れは変わらない。記者会見した三菱ふそうトラック・バスのビルフリート・ポート社長は、自分のところにまったく情報をあげてこない社員たちに対して怒りをあらわにした。
「これは隠蔽のコーポレートカルチャーの結果だった」
報告をしない。事実と異なる報告をする。そして、不正を隠す――。こうした三菱自動車社内の空気を、メディアはポート社長のように「隠蔽体質」と報じていた。
が、よくよく考えてみると、「上」に情報をあげないというのは、「上」を信頼していないということであり、もっと言ってしまえば、「自分たちしか信じない」という現場のセクショナリズムのあらわれのような気がする。
実際、経営評論家の故・梶原一明氏が評した言葉が、不正続きの三菱自動車の「空気」を的確に表現しているような気がしている。
よく言えば、個を尊重して他人の仕事に口出ししない。悪く言えば徹底的なセクショナリズム。これは三菱重工以来の伝統で、他部門に口を挟まないのが企業文化として定着している。その結果、社内批判がなくなった。(週刊朝日2000年9月8日)
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