カリカリまだある? 母のカレーが生んだ北海道のヒットメーカーに迫る(2/3 ページ)

» 2016年05月12日 08時00分 公開
[鈴木亮平ITmedia]

経営者から料理人、そしてお土産プロデューサーへ

 勝山さんはもともと、17歳のころから菓子卸業、だんご屋、おにぎり屋、たい焼き屋などさまざまな事業を興していた実業家だった。高校受験に失敗したのをきっかけに「経営者になってお金を稼ごう」と決心したという。

 「実家は貧しく、母親の作るカレーライスが一番のごちそうでした。社長になればお金をたくさん稼げると思ったのが出発点です」(勝山さん)

 その中でも、当時流行していた「およげたいやきくん」の歌に便乗して始めたたい焼き屋は大もうけしたという。その利益を資本金にして飲食店のオーナーになったのは、31歳のとき。札幌で洋食レストラン「YOSHIMI KITCHEN」を開店し、飲食業を始めた。

 最初の数年こそ順調だったが、事業の拡大に失敗し、経営状況が悪化。多額の借金を抱えてしまった。どん底の状態に陥り、精神的にも疲弊していた勝山さんはある日、子どものときの大好物だった「母親のカレーがふと食べたくなった」という。

 隠し味にしょうゆを使うという母親オリジナルレシピのカレーを作るのだが、それを常連客に提供したこときっかけに、料理人に転身することになる。

 「常連客に提供したところ、思わぬ大好評を受けました。その人から『絶対に料理人になるべきだ』と強く勧められて、39歳のときに料理人になることを決め、自ら厨房に入りました」(勝山さん)

 すると、勝山さんの作るカレーは口コミで一気に評判となり、たちまち業績は回復したのだ。そして、札幌パルコなどの大型商業施設にYOSHIMI KITCHENのほか、スープカレー専門店、カフェなど、さまざま店舗を展開し、飲食業を軌道に乗せていった。

 そこから、大ヒットとなるお土産品の開発したのは58歳のとき。評判だった勝山さんのカレーをベースにお土産品として出してほしいと食品メーカーからオファーを受けたのをきっかけに、YOSHIMI KITCHENのカレーを使った「札幌カリーせんべい 〜カリカリまだある?〜」を開発した。これが、年間で5億円以上を売り上げるヒットとなった。翌年(2010年)の夏休み期間(8月6日〜8月15日)のお土産売り上げランキングでは、あの「白い恋人」を抑えて1位になるほどの人気ぶりだったという(流通しんぽう社調べ)。

photo 「札幌カリーせんべい 〜カリカリまだある?〜」

 それから商品開発に火がつき、3年後に販売したおかきの「oh! 焼きとうびき」が年商10億円を超えるヒットに。その翌年にはポテトチップスの「ジャガJ」も5億円を超えるヒットとなった。その後も多様なジャンルでお土産品を開発してはヒットとなり、7年間で約25億円以上を売り上げるようになったのだ。

 今では、新千歳空港などのお土産コーナーにいくと石屋製菓や、六花亭製菓と同じくらいのスペースを占めて存在感を出している。

photo 「oh! 焼きとうきび」(左)と「ジャガJ」(右)

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