タレント女性の刺傷事件! スポーツ界にも衝撃が走っている 赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2016年05月26日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

46年前に起きた「荒川事件」

 日本のプロ野球界においてもその昔、ファンと思われる暴漢による襲撃事件があった。今から46年前の新春に起こった「荒川事件」は今も当時を知るプロ野球関係者やファンの間で語り継がれている。

 その当時、早稲田大のスラッガーとして名を馳せた荒川堯(あらかわ・たかし)内野手は1969年のドラフト会議で目玉選手になっていた。巨人・王貞治一塁手(当時)の一本足打法の生みの親である荒川博打撃コーチの養子で、いわゆる“サラブレッド”。多くの球団から熱い視線を浴びたものの荒川本人は巨人入りを熱望し、他球団からの指名を事前に拒絶していた。ところがドラフト当日は大洋(現DeNA)から1位で強行指名を受けることになり、改めて荒川はこれを拒否。米メジャーリーグのキャンプ地を巡りながらの浪人生活を決意したことで、忌まわしき事件に遭遇することになってしまう。

 1970年1月5日、午後9時過ぎのこと。自宅近くの東京・中野区の路上で犬の散歩をしていたとき、荒川は突然背後から何者かにこん棒のようなもので後頭部を殴られた。その場に倒れこむと複数回に渡って蹴りも見舞われて負傷。医師の所見では後頭部の打撲と左手の亀裂骨折で全治2週間とされたが、その後遺症が荒川のプロ野球人生を暗転させることになる。

 その後、荒川は1年浪人しても意中の巨人が自分を指名する意思がないこと、また入団意思のないパ・リーグの球団が指名に積極的となっていることを知り、紆余曲折を経て次のドラフトを前に交渉権が残る大洋への入団を決意。ただし第2希望のヤクルトへトレードされることを前提とした上での入団だった。翌1971年、念願かなってヤクルトに金銭トレードで移籍を果たしたが、暴漢に襲撃された際にできたとみられる左視束管損傷によって左目の視力低下に悩まされ、大成できずにわずか4年後に現役引退へ追い込まれた。

 大洋入団拒否を表明した直後から、荒川の自宅には「野球ができないような身体にしてやる」などといった脅迫電話が複数回あったという。当時の警察は入団しようとしない荒川に対し、恨みを抱いた者の犯行とみて捜査を行ったが、実行犯は見つからずにそのまま公訴時効を迎えた。

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