だからいまも「現役」! 49歳のカズが教えてくれた人生のヒント赤坂8丁目発 スポーツ246(3/4 ページ)

» 2016年06月23日 08時00分 公開
[臼北信行ITmedia]

悔しいことは人生の糧になる

 日常生活においても食生活の栄養アドバイザーをつけ、摂取した食事の写真を毎食撮って送信し、助言をもらう。栄養面やカロリー摂取に関して専門家の意見を必ず聞き入れ、常にコンディション維持に務めている。だからこそ、この年齢にして体脂肪率は何と平均10%前後をキープ。

 よくよく考えてみれば、そんなスーパーストイックな生活を送っているサッカー界のレジェンドが「苦しい」と思うはずがなかった。前のこととはいえ、今となっては単刀直入にバカげた質問をしてしまった自分のことが恥ずかしくも思っている。

 1998年6月10日から7月12日まで行われたフランス・ワールドカップ(W杯)。この直前、同年5月末から6月上旬まで行われた日本代表メンバーのスイス・ニヨンでの直前合宿に参加していたカズ本人を初めて取材する機会に恵まれた。この合宿終盤の同年6月2日、当時の岡田武史監督がW杯開幕直前に本戦登録メンバーから外れる3人の名前を発表。同監督が発した「外れるのはカズ、三浦カズ」の言葉を耳にした瞬間、メモを取っていた手が震え出したことを今でも時々思い出す。

 15歳からブラジルへ単身サッカー留学。異国の地で苦労を重ね、それを乗り越えて名門サントスFCで認められるプレーヤーになったのも心の奥底にいつしか日の丸を背負い、W杯出場の目標があったからこそだった。そのW杯出場の夢が寸前で潰えたショックの大きさは当の本人にしか分からないが、計り知れないものであったに決まっている。

 その4年前にもカズはオフト・ジャパンのエースとしてアメリカW杯出場をほぼ手中に収めながら、あのイラク戦の“ドーハの悲劇”によって涙を飲んでいた。あの18年前の6月2日、取材する立場を忘れて「サッカーの神様は何て非情なんだ」と何度となく叫びながらニヨンの地で、他のメディア仲間たちとともにヤケ酒を飲んだのも思い出だ。

 しかしカズは、この“衝撃”からすぐに再起した。金髪姿で帰国すると会見で「気持ちの切り替えはできている」「まだやり残していることがある」などと力強く口にした。その後の京都パープルサンガ時代、取材したカズ本人から「いずれの機会も同じだが、自分が悔しいと思った出来事に納得はできない。でも、悔しいことは人生の糧になる。その悔しさを乗り越えることで人間は強くなる。今まで何度もあったことだが、それもまた運命と思って自分は受け入れ、全部クリアして来たんだよ」と重く説得力のある言葉を聞いたこともある。

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