1997年以来の歴史を持ち、日本最大級の野外音楽フェスとして知られる「フジロックフェスティバル」。このイベントに、若い政治運動家が出演することが発表されると、さまざまな議論が起こりました。
大きく総括すると、まず「音楽に政治を持ち込むな」という声が上がった。それに対して、「そもそも音楽は反体制だ」という反論が出ました。
「音楽は反体制」。確かに現代でも、聖堂でロシア大統領選への抗議活動を行い、逮捕されたプッシー・ライオットのような音楽集団が活動しています。
歴史的に見ると、「音楽活動はすべて、むしろ政治的なメッセージを伝えるために行っていた」と言われる、90年代アメリカの「レイジ・アゲインスト・ザ・マシーン」や、「俺はアナーキストだ」と歌った70年代のセックス・ピストルズなど、反体制、反権力の音楽家は枚挙にいとまがない。逆に「体制べったりのミュージシャン」というと、なにか変な感じもします(実際は保守よりの音楽家はいます)。
そもそも音楽は反体制なのか。という問いは、「そうした伝統がある」という意味では「YES」と答えざるを得ないでしょう。
もっとも社会の変化とともに、音楽も変わった。80年代に活躍した尾崎豊さんのメッセージが、現代の若者には共感されないという話がメディアで取り上げられたこともありました(「成人の日に――尾崎豊を知っているか」『朝日新聞』2012年1月9日)。
しかし実は今、「反体制」が、若い層に向けた表現のテーマとして復権しつつある。
その意味で、フジロックフェスティバルの巻き起こした論議は非常にタイムリーであり、象徴的だと感じます。
そもそもなぜ音楽は、反体制だったのか。これには歴史的な理由がありました。
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