「マルちゃん ハイラーメン」が静岡だけで50年以上も売られているワケスピン経済の歩き方(3/5 ページ)

» 2016年07月26日 08時00分 公開
[窪田順生ITmedia]

「ハイラーメン」が生き残れた理由

 インスタントラーメン業界のカリスマといえば、「世界のラーメン王・安藤百福(あんどう・ももふく)」をイメージするだろうが、森氏も負けていない。というより、実際に彼らは火花を散らした「ライバル」だった。

 両者の対立が注目されたのは、1976年。東洋水産が米国で設立した現地法人「maruchan」のカップめんの製法を、日清が特許侵害だと訴えたことだった。

 『大抵の企業は、安藤の気迫におじけづき降参するが、森は真っ向から対決した。米国の裁判所を舞台にした両社の激しい応酬は裁判慣れしている地元企業をも驚かせた。結局、二年後に和解が成立したが、安藤にとって森は最もやりにくい相手らしい。日清食品と特許紛争を経験した明星食品社長八原昌元も「森さんは食品業界では珍しく気骨のある人」と一目置く』(日経産業新聞1984年6月12日)

 ご存じのように、日清はチキンラーメンの特許を開放しました、とカップヌードルミュージアムやらで誇らしげに胸を張る一方で、競合を特許侵害等でよく訴える。そんなゴリゴリの武闘派を前にしても、自らが正しいと信じることを貫く森氏に惚れ込む人は少なくない。作家・高杉良氏もそのひとりだ。森氏を口説き落とし、ご本人をモデルにして、恫喝的な手法を使って競合の邪魔をする「日華食品」に立ち向かう不屈の経営者を描いた小説『燃ゆるとき』(角川書店)を執筆している。

 森氏は静岡県賀茂郡田子出身。また、地域の財界人を多く輩出をしている下田北高校のOBだ。お膝元でシンパも多い中で、これだけ魅力ある人物ならば、東洋水産びいきの販売店・流通業者が多くなるというのも容易に想像できる。

 もちろん、森氏が地元・静岡の活性化に積極的だったことも無関係ではない。

 魚肉ソーセージなど加工食品がメインだった東洋水産が「ハイラーメン」の生産を開始したのは、1960年に設置された焼津工場。つまり、即席めん事業参入時点から、森氏は故郷で勝負をかけていたのだ。

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