地元愛はその後の立ち振る舞いからも分かる。田子でカサゴの漁獲が減ったと聞けば、稚魚を放流した。その後、放流事業は東洋水産の社会貢献活動となり今年で18回目を迎えている。
このような森氏の「静岡愛」が地元の方にも伝わっているからこそ、50年以上も「ハイラーメン」が支持されているのではないのか。
なぜそのように感じるのかというと、「北海道」のケースもあるからだ。実は東洋水産には「ハイラーメン」と同じくらい歴史の長い即席めんが今も売られている。「ハイラーメン」が出た翌64年に発売し、現在も北海道民に愛されている「ダブルラーメン」だ。
こちらは、「ハイラーメン」のように全国発売をしていたわけではなく、ハナから北海道限定商品として世に出された。ライバル・日清が北海道に工場をつくったのが1978年ということを考えると、驚くほど早い北海道進出だ。
水産加工会社である以上、北海道に目をつけるというのは分からんでもないが、即席めん事業自体が全国でもそこまで軌道にのっていない段階だ。なぜ森氏は誰よりも早く「北海道民のための即席めん」をつくろうと思ったのか。
お亡くなりになっているので、真相は分からないが、個人的には北海道に対して何か特別な「思い」があったのではと考えている。
その理由は「依田勉三(よだ・べんぞう)」だ。
は? 誰それ? と思うかもしれないが、北海道土産で有名な「マルセイバターサンド」で知られる「マルセイバタ」(初の北海道産バター)を製造した人物だ。慶應義塾大学で学び、北海道開拓の重要性に目覚め、開拓者集団「晩成社」を率いて帯広を開拓した「十勝開拓の祖」として知られている。
北海道ではわりと有名な人だが、実はあまり記録が残っていなかった。それが1994年、それまで見つかってなかった勉三直筆の手紙など80点が帯広百年記念館に寄贈された。
『勉三直筆の手紙などを贈ったのは、東洋水産社長の森和夫さん(78)=東京在住=。森さんは静岡県松崎町の出身で、勉三の古里。同じ町で森家と依田家の付き合いがあったらしく、以前から森さんの実家にこれらの資料があったそう。同社が帯広で子供のスポーツ大会のスポンサーなどをしている関係もあり、「眠っている資料を役立ててもらえれば」と寄贈した』(1994/10/08 北海道新聞)
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