「小さな大企業」を作り上げた町工場のスゴい人たち

なぜ学校のプールで「水泳帽子」をかぶるのか 知られざる下町企業のチカラ水曜インタビュー劇場(水泳帽子公演)(5/7 ページ)

» 2016年08月31日 06時00分 公開
[土肥義則ITmedia]

「できません」と言ったこはない

1977年に発売した水泳帽子「ダッシュ」

土肥: ま、まどろっこしいですね。いや、まあ商習慣なので、仕方がないですね。商品を開発してから5年が経ってようやく少しずつ売れ始めたということですが、よくその間我慢されましたね。鳴かず飛ばずの5年間、どういったことを考えながら、営業をされていたのですか?

磯部: ひとりで営業をしていたのですが、うーん……何を考えていたんだろう。(沈黙、約3分)思い出せないなあ。

土肥: 交通費もかかるわけですし、人件費もかかる。会社は何も言わなかったのですか? 「早く結果を出してよ」といった感じで。

磯部: 何も言ってこなかったですね。裕福な会社ではありませんでしたが、おむつカバーで多少の利益が出ていたので、水泳帽子が売れなかったことについては目をつぶっていたのでしょう。

 いまは「対前年比で売り上げはいくら?」とか「利益率はどのくらい?」とか、いろいろなことを数値化することができますよね。当時ももちろん数値化できる部分はありましたが、いまほど細かくありませんでした。当社もそれほど細かくなかったので、水泳帽子が売れない期間が5年もあったのにもかかわらず、何も言ってきませんでした。

土肥: もし会社が、あれやこれやとうるさいことを言ってきたら、水泳帽子の営業ができなくなっていたかもしれない。自由にやらせてもらったので、1970年代半ばに学校で水泳帽子の着用が広がったのでは?

磯部: かもしれません。

土肥: 学校で水泳帽子の採用が増えていったわけですが、現場からはどのような声がありましたか?

磯部: いろいろな声がありました。例えば「ウチの学校は学校色があるので、それと同じ色にしてくれませんか?」とか「ウチの学校は1年生は赤色、2年生は黄色、3年生は……学年別に用意してくれませんか?」とか「横の部分に青色の線を入れてくれませんか?」とか「前の部分に名前を書けるようにしてくれませんか?」といった具合にたくさんありました。

 そうした要望をひとつひとつお聞きしてつくるわけですが、それはいまでも変わりません。「ウチの学校は○○にしてほしい」という声があれば、それを聞いて納品しています。

土肥: ムチャな要望があって「それはちょっと無理ですよ」とお断りしたことは?

磯部: ないですね。これまで「できません」と言ったことはありません。

土肥: 「面倒くさいなあ」「いまは忙しいから、断ろうか」と考えたことは?

磯部: それもないですね。メーカーの立場として、何を言われてもつくるのは当たり前と思っていますので。

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