『君の名は。』『聲の形』……岐阜にアニメの「聖地」が続々と生まれている理由スピン経済の歩き方(2/5 ページ)

» 2016年09月06日 07時11分 公開
[窪田順生ITmedia]

「アニメ・マンガ推し」ができた理由

 発端は1995年、今回『君の名は。』でも舞台となった飛騨だ。過疎化が急速に進む宮川村(現・飛騨市宮川町)で、観光振興のために、4万冊の蔵書を誇るマンガ図書館などを併設した温泉施設「飛騨マンガ王国」の建国を宣言したのだ。当時の道下則明村長はこのように述べている。

 『現在の日本は「漫画時代」といっても過言ではないでしょう。それだけ人気がある漫画と、村の豊かな自然環境を絡めた村おこしができないかと思ったのです。それは目玉になる観光資源がないため、マイナスの要因をすべてプラスに転じる逆転の発想という漫画的な手法ではなかったかと自負しています』(1996年8月14日 読売新聞)

 「飛騨マンガ王国」は現在も人気の観光スポットとなっている。このような動きは、県内にも波及。1996年になると、「県マンガ文化研究会」が発足。大垣女子短期大学ではデザイン美術学科にマンガコースを新設。「マンガの神様」として知られる手塚治虫さんのアシスタントを務めた篠田英男さんを招き、次世代のクリエイター育成にも力を入れ始める。

 今ならば、「そんなのどこでもやってるよ」という程度の話かもしれないが、1995年といえば6年前に発生した宮崎勤事件の影響がいまだ尾を引いており、アニメ・マンガ愛好者は「オタク」という言葉でひとくくりにされ一部から偏見の目で見られていた冬の時代。「聖地巡礼」なんて概念も当然なく、宮川村は全国の自治体関係者から、「マンガで町おこしなんかできるか」と白眼視されていた。

 そんな時代にここまで県をあげて「アニメ・マンガ推し」ができたのは、絶対権力者の強い後ろ盾があった。当時の梶原拓県知事だ。

 梶原さんといえば4期16年間、岐阜県政の頂点に君臨し、札束を燃やして捨てるなどして大きな話題となった「岐阜県庁裏金問題」や、ハコモノで財政を悪化させたイメージも強いが、その一方で、東京一極集中を痛烈に批判し、地方の産業文化振興を推し進めたリーダーとしても知られている。

 その産業振興のひとつとして梶原さんが力を入れたのが、「アニメ・マンガ」だ。地元紙にその熱い思いを以下のように語っている。

 『以前から取り組んできたが、岐阜県をマンガ王国にしようという事業がある。アニメ文化が広げる潜在的な波及効果は将来的に大きく、県では大垣市のソフトピアジャパンに今後、映像産業誘致の研究会などを立ち上げ、本格的に県内の産業振興につなげるつもりだ。韓国などは国家政策としてアニメ産業を興そうと進めているのに、日本はまだマイナーな存在に置かれてしまっている』(2002年12月26日 岐阜新聞)

9月17日封切り『聲の形』の舞台も岐阜県(出典:映画『聲の形』の公式サイト)

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