JR収益増の秘策「JRデスティネーションキャンペーン」に新たな展開?杉山淳一の「週刊鉄道経済」(3/4 ページ)

» 2016年09月30日 06時25分 公開
[杉山淳一ITmedia]

発祥は1978年度「きらめく紀州路」国鉄の増収策だった

 成功しているにもかかわらず印象の薄いデスティネーションキャンペーンだけど、国鉄時代から始まっており歴史は古い。最初の開催地は和歌山県で、1978年11月から翌年3月までの半年間。キャッチフレーズは「きらめく紀州路」だった。

 当時、国鉄は増収策を模索していた。1964年に単年度赤字となり、1966年には繰越利益も取り崩し、累積赤字を増やし始めた。1976年と1977年に運賃の50%値上げを実施。1978年以降は毎年の運賃値上げという事態になった。

 ちょうど自家用車やトラックが普及、道路も整備されて、旅行客の鉄道離れが始まった。国鉄職員はリストラに反発して順法闘争を始め、迷惑の極みに達した通勤客が暴動を起こす始末。そんな中、国鉄の労働組合は1975年にスト権ストを強行。庶民を苦しめる運賃値上げの批判と併せて、マスコミの国鉄叩きがエスカレートしていた。

 国鉄はイメージアップと増収が緊急課題となった。しかし公共企業体ゆえに副業は禁止されており、本業の旅客運賃収入を増やすしかない。そこに少し追い風が吹いた。1976年の蒸気機関車廃止まで続いたSLブームと入れ替わりに、1977年からブルートレインブームが起きた。これはアマチュアカメラマンにとって、SLブーム、スーパーカーブームに続く撮影対象になった。

 1978年には鉄道趣味が盛り上がり、7月には宮脇俊三著「時刻表2万キロ」が話題となって日本ノンフィクション賞を受賞。10月のダイヤ改正で特急列車すべてにイラスト入りヘッドマークが入った。11月からは山口百恵の名曲で知られる「いい日旅立ち」キャンペーンが始まった。

最近のデスティネーションキャンペーンの特長として、前年にプレキャンペーン、後年にアフターキャンペーンを実施している。観光需要を一過性にとどめない仕組み作りだ(出典:栃木県さくら市公式サイト) 最近のデスティネーションキャンペーンの特長として、前年にプレキャンペーン、後年にアフターキャンペーンを実施している。観光需要を一過性にとどめない仕組み作りだ(出典:栃木県さくら市公式サイト

 デスティネーションキャンペーンは、こうした時代背景を受けて、地域と一体となった国鉄増収策として始まった。翌年からもデスティネーションキャンペーンは開催地を変えて継続。ただし、期間と開催地は定まっていなかった。また、1986年度と1987年度は国鉄からJRへ分割民営化されたため中断している。1999年度から現在のような年4回の開催に固定された。JR各社のエリアを巡回するように、開催地はほぼ全国を網羅している。ただし、東京、埼玉、大阪は実施されていない。大都市は目的地と言うより出発地というイメージだろうか。また、JR路線がない沖縄県は対象になっていない。未開催だった栃木県、島根県、鳥取県は2018年度の開催予定だ。

 興味深いことに、2000年度から現在まで、冬は必ず京都市だ。キャッチフレーズの「冬の京の旅」も同じ。「冬の京の旅」は京都市観光協会が発案し、底冷えする京都の冬の観光活性化を目的に1967年から展開しているキャンペーンで、2016年1月〜3月の実施で50回を迎えたという。

 JRのタイアップは1980年1月〜3月が初で、それから20年ぶりに再開された2000年度から毎年のタイアップとなっている。全国の自治体の担当者としては、各地を公平に扱ってもらいたいだろうけれど、そもそも冬は観光旅行需要が落ち着く時期だ。JRにとっても、受験シーズンで修学旅行が落ち着く時期だ。増収効果のあるキャンペーンは京都が定番ということか。

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