小日向: そうです。秀忠が17歳のときに、バツ2で23歳の江姫を正室に迎えました。それからずっと奥さんの尻に敷かれていたイメージです。
そんな中、一生に一度の浮気によって生まれたのが、保科正之です。3代将軍の家光を後々支える幕府の功労者です。実は正之の存在は、秀忠も江姫も生前は認知していなかったそうです。
編集部F: 恐ろしい江姫にばれたらと思うと……。知らぬが仏ですね。
小日向: 正之は隠し子として旧武田家臣団に育てられました。ですので、しっかりとした教育を受けたはずだと思います。優秀な人物でしたので将軍職についてもおかしくない場面がありましたが、自分は前に出ず、兄・家光を支えました。武田信玄と、弟の信繁の関係と似ているかもしれませんね。家光からも、とても信頼されました。
1643年に会津藩23万石の大名となり、以後、幕末まで正之の子孫が会津松平家として藩主を務めました。会津藩好きの私にとっては、秀忠は正之のお父さんという印象が強いですね。
編集部F: 余談ですけど、会津藩って藩主がコロコロと変わっていますね。私の最も好きな蒲生氏郷だったり、上杉景勝だったり、加藤嘉明だったりと。
ところで、秀忠はやはり恐妻家だったのですかね?
小日向: 私は恐妻家とは思っていないのですが、江姫は幼いころから数々の修羅場をくぐり抜けているので、肝が据わっているのは間違いないでしょう。
ただ、将軍として側室がいないというのはあり得ないと思います。江姫は秀忠の正室になって4人連続で女の子を産んでいます。もともと女系家族で、かつ4人も女の子ができたら、普通に考えると側室に男の子を産ませなさいとなるはず。後継ぎのことを考えると、そうやってリスクヘッジしますよね。
そして、5人目に待望の男子である家光が、6人目も男子で徳川忠長が生まれました。実は秀忠も江姫も忠長を後継ぎにしたかったのですが、そのころ家康が儒教にはまっていて、長子相続にすべきと考えたことなどから、長男の家光が将軍になりました。
編集部F: 家光の乳母だった春日局のプッシュも大きかったようですね。秀忠の周囲にはパワフルな女性が多かったことがよく分かりました。
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