なぜ鉄道で「不公平政策」が続いたのか?杉山淳一の「週刊鉄道経済」(5/5 ページ)

» 2016年12月02日 06時30分 公開
[杉山淳一ITmedia]
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なぜ鉄道「不公平政策」が続いたか

 鉄道開業から114年にわたり「鉄道の費用はすべて鉄道事業者が負担する」という仕組みだけだった。実際には鉄道国有化の流れがあり、国が鉄道を負担した時代がある。しかし民間鉄道については鉄道会社負担の原則だ。それはなぜか。

 簡単に言うと「鉄道がもうかったから」である。明治5年に新橋〜横浜間で鉄道が開業した翌年の数値を見ると、年間の旅客収入は42万円、貨物収入は2万円、経費は23万円。つまり利益は21万円だ。利益率約5割。こんなにおいしい商売はない。もちろん沿線は活気づく。鉄道はもうかる。そこで全国の資産家や有志が鉄道建設に乗り出した。

 当時の国は「鉄道は国策であり国営であるべき」と考えていた。これは軍事輸送の観点も大きかった。利益の出る国営事業として独占したいという気持ちもあったと思われる。しかし、全国の幹線鉄道を整備する資金が明治政府にはなかった。そこで、どうしても鉄道を開業したいという者に対して、国が免許を与えた。

 ここから、民間鉄道は自己資本で鉄道を建設し、政府は免許を与えるという図式が始まっている。しかし軍部の要請で1906年に鉄道国有法が施行され、北海道炭礦鉄道、日本鉄道(関東・東北方面)、山陽鉄道などが買収された。これは戦時買収のような屈辱的な条件ではなく、かなり良い値段で買い取られた。

 そうなると、勢いで建設した小さな鉄道会社も、政府に買い取ってもらおうと売り込み始める。その中には、初めから国に買い取ってもらうという前提で鉄道建設に着手したり、免許を取得した会社もあった。運行しなくても、政府に売り払うとしても、結局、鉄道はもうかる。それは政府も承知だった。鉄道はもうかる事業ですよ、だから自己責任でやってください、という考え方が定着した。

 そしてなぜか、100年以上も経過して、この考え方のみ国策で改められていない。国営鉄道は赤字で失敗した。本当はこのときに鉄道はもうからないという認識を持つべきだった。そして、上下分離を実施し、鉄道と他の交通手段との不公平を解消すべきだった。

 それを「民営化したからこれからはもうかる」と勘違いし、鉄道会社の自助努力に任せるという風潮につながった。鉄道事業法によって免許制から許可制に緩和され、国の関与は小さくなった。建設許可も出しやすいけれど、廃止の許可も出しやすくなった。

 鉄道が主役だった時代が終わり、物流政策は鉄道、道路、航空、船舶をすみ分けた設計が必要だ。上下分離制度という救済策が作られただけで、下の部分をどうするかという問題を放置すれば、鉄道の不公平感は払底できない。

 民間の自由競争を重んじるといえば聞こえは良い。しかしそれと放任主義は違う。鉄道で言えば、国道に相当する区間は国、都道府県道に相当する区間は都道府県、市道に相当する区間は市が保有し整備する。自由競争は、公平な立場にある者同士で行われるべきだ。

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