連載
» 2017年01月10日 08時00分 UPDATE

スピン経済の歩き方:だからトランプに負けてしまう トヨタの急所 (3/5)

[窪田順生,ITmedia]

企業小説が世に出る背景

トヨタ自動車の豊田章男社長

 もともとは1984年にドキュメント・ノベルとして出されたが、写真週刊誌『フォーカス』(新潮社)に、若い愛人とヨット遊びをパパラッチされ批判が高まり、『労働貴族』として改題して文庫で出されたのだ。

 『労働貴族』の後、「塩路天皇」は失脚するが、その後も社内の内紛は続き、次第に経営不振が囁(ささや)かれるようになる。

 そして、そのネガティブな噂に呼応するかのように、1995年には企業小説の第一人者・清水一行氏が、日産ブルーバードとトヨタのコロナが激しい販売競争を繰り広げた、いわゆる「BC戦争」における情報戦を描いた『巨大企業』を発表。その3年後には、NHKでドラマ化もされた『系列』を出版、こちらは、日産系列の部品メーカーだった市光工業をモデルにして、バブル崩壊後の自動車メーカーからダンピングなど理不尽な要求をされる下請けの苦境を描いた。1999年、ルノーの傘下に入ったのは、その翌年のことだ。

 つまり、日産の滑落と企業小説が世に出る動きは微妙にリンクしているのだ。

 そんなのたまたまだよ、と思うかもしれないが、そんなことはない。企業小説が世に生み出されるのは、それなりの理由があるからだ。

 企業小説は、作家や編集者が「なんとなくあの会社を題材にするか」といった思いつきでできるものではなく、その企業に「ドラマ」があるか否かが重要になる。

 町工場の技術力が大企業に勝ちました、みたいな痛快なドラマもあるが、やはり『半沢直樹』のように大企業ならではの足の引っ張り合いや、責任の押し付けあいという理不尽さがあったほうが、サラリーマンはより感情移入できる。

 もうひとつ重要なのは、その企業に「内部協力者」がいるか否かだ。本当のことをストレートに書いたら問題になる。かといってあまりに事実とかけ離れているとリアリティがない。そういうビミョーな描写を作家が行うには、事実を知る幹部やOBの協力は不可欠なのだ。

 これまでさまざまな企業のリスクを見てきた経験から言わせていただくと、ドロドロの「人間ドラマ」が渦巻いていて、記者やジャーナリストに内部情報を流す幹部やOBもちらほらいる企業というのは、遅かれ早かれ『FACTA』や『選択』の誌面を賑(にぎ)わすことになる。

 自己保身も、内部告発も「このままではうちの会社がヤバい」という危機感から生じる。それが外部に事実としてアウトプットされたものが内部告発記事であり、フィクションとしてでると「企業小説」になるのだ。

 そう考えると、『トヨトミの野望』も「へえ、トヨタをモデルにするなんて勇気があるねえ」で済まされるような話ではなく、小説の体裁で、トヨタ内部や関係者からなにかしらの「危機」が示唆されている可能性があるのだ。

Copyright© 2017 ITmedia, Inc. All Rights Reserved.

注目のテーマ

マーケット解説

- PR -