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» 2017年03月09日 08時39分 UPDATE

ベトナムにも出店:リョーユーパンが乗り越えた“冬の時代” (1/4)

平成29年1月、リョーユーパン直営店本部長の中島高徳(54)は、ベトナム最大の都市、ホーチミンにいた。「RYOYU BAKERY」の看板が掲げられた店舗が開業した。リョーユーパンが技術協力した店だった。

[産経新聞]
産経新聞

 平成29年1月、リョーユーパン直営店本部長の中島高徳(54)は、ベトナム最大の都市、ホーチミンにいた。「RYOYU BAKERY」の看板が掲げられた店舗が開業した。リョーユーパンが技術協力した店だった。

 「海外で会社の看板を掲げられるのは、やっぱりいいな」入社から30年。目の当たりにしてきた直営店の浮き沈みが、脳裏によみがえった。

 リョーユーパンの直営店は、昭和40年代に始まった。高度成長で日本は豊かになった。食生活は個性化や多様化が進んだ。作れば売れる時代は終わり、付加価値が必要となった。

 パン業界では、多少高くても、本来のおいしさが実感できる「焼きたて」に注目が集まった。工場での大量生産から、電気を使った焼き窯を備えた直営店へ。広島の地場企業、タカキベーカリーが始めた「アンデルセン」が草分けだった。

 「同じ地場の企業。われわれもやろう」

 リョーユーパンの前身、糧友グループも直営店に乗り出した。社員を欧州に送り、店づくりを研究した。44年12月、第1号として、福岡市内にマルメ荒江店を開いた。

 マルメは、スウェーデンの美しい古都の名だ。高級店を目指した。45年3月には、より低価格のリスドォル春日原店を開店した。

 焼きたてパンの店を、スーパーが求めるようになった。香りを立てて窯出しされるパンは、スーパーに客と活気をもたらすからだ。

 糧友グループは、こうした小売り側の要望に応じた。工場で製造する「袋パン」を、そのスーパーの商品棚に置いてもらう効果もあった。

 中島が入社した昭和61年以降も、直営店は年を追って増えた。店舗ブランドも「プルネール」「ベルボアーズ」と多様化した。

 だがバブル崩壊後、直営店事業は、小売業の不振と再編の大波を被った。

イオンモール筑紫野店内にあるリョーユーパンの直営店=福岡県筑紫野市
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