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» 2017年04月21日 10時00分 UPDATE

「三十国」の一つか:淡路島は「鉄の国」だった 弥生時代後期の鉄器工房跡見つかる (1/3)

平成29年1月、兵庫県淡路市の舟木遺跡で発掘調査が行われ、弥生時代後期の鉄器工房跡が見つかった。古代から朝廷に海や山の幸を献上し「御食国(みけつくに)」と呼ばれた神話の舞台は、邪馬台国と深く関わった「鉄の王国」でもあった。

[産経新聞]
産経新聞

 邪馬台国は畿内か九州か――。古代史永遠の謎に迫る発掘調査が平成29年1月、兵庫県淡路市の舟木遺跡で行われた。邪馬台国の時代にも重なる弥生時代後期(2世紀半ば〜3世紀初め)の鉄器工房跡が見つかったのだ。同市では10年前に五斗長垣内(ごっさかいと)遺跡(国史跡)で大規模な鉄器工房跡が発掘され、淡路島が西日本屈指の鉄器生産地だったことが明らかになった。古事記で、日本列島が造られた「国生み」の地とされる淡路島。古代から朝廷に海や山の幸を献上し「御食国(みけつくに)」と呼ばれた神話の舞台は、邪馬台国と深く関わった「鉄の王国」でもあった。(小畑三秋)

西からの物資や情報を中継する「玄関口」だった

 「淡路島でなぜ鉄器生産が盛んだったのか。神話と何か関係があるのかもしれない」

 淡路市は平成27年度から「国生み研究プロジェクト」をスタートさせ、その一環で舟木遺跡を発掘し、今回の成果に結びついた。「淡路島が重要な地域だったことが考古学で裏付けられた」。同市教委の伊藤宏幸次長は声を弾ませた。

 発掘では、4棟の竪穴建物跡と刀子(とうす、ナイフ)などの鉄器や鉄片約60点が出土。そのうち1棟の床面は赤く焼けていた。鉄の素材を木炭で熱しながら、たたいたり延ばしたりして工具などを作った炉跡だった。

 調査はわずか130平方メートルだったが、周辺の丘陵一帯では同時期の土器が確認され、遺跡は40ヘクタール(南北800メートル、東西500メートル)に及ぶと推定。伊藤次長は「建物跡が相当多く眠っているのではないか」とし、国内最大規模の鉄器工房跡である可能性が高まった。

 一方、同遺跡の南西約6キロにある五斗長垣内遺跡では、鉄器工房とみられる12棟の竪穴建物跡や鉄器など約130点を確認。約100年間にわたって鉄器作りが行われたことが分かった。

 畿内勢力にとって、朝鮮半島から伝わった鉄器の技術や素材を入手するうえで、重要な位置を占めたのが瀬戸内海ルート。「淡路は、西からの物資や情報を中継する『玄関口』だった」と話すのは、奈良県立橿原考古学研究所の森岡秀人共同研究員。「明石海峡や鳴門海峡という海の難所に挟まれた淡路の勢力は航海術にたけ、新しい鉄器文化を積極的に取り入れたのだろう」という。

五斗長垣内遺跡に復元された鍛冶工房の竪穴建物=兵庫県淡路市
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