更地になったシャープ旧本社に何を思う解体工事が進む(2/3 ページ)

» 2017年08月10日 11時45分 公開
[大河原克行ITmedia]

創業の地は大阪ではない

 シャープが、大阪市営地下鉄御堂筋線の西田辺駅近くに本社を構えたのは、1924年9月1日。関東大震災のちょうど1年後だ。

 多くの人がシャープは関西発祥の企業と思っているかもしれないが、実は、シャープの創業は、東京都墨田区本所であり、早川氏は東京都中央区の生まれ。東京・京橋にあった実父の生家は、江戸時代から続く袋物問屋であり、ちゃきちゃきの江戸っ子であったことはあまり知られていない。

創業の地の近くにある早川徳次氏の墓 創業の地の近くにある早川徳次氏の墓

 創業から12年間は、東京に本社を置いていたのだが、関東大震災により、工場を焼失。このとき早川氏は、妻とともに、8歳と6歳になる2人の子どもも亡くした。さらに、追い打ちをかけたのが、大阪に本社を持つ販売委託先からの特約契約金の返済と、事業拡張金として融資していた合計2万円の返済を求められたことだった。

 金融機関が、震災後の復旧に向けて、衣食を優先する施策を取る中で、シャープは資金調達ができず、同社への特許の無償使用や技術移転などを条件に、返済を免除。早川氏は東京から14人の技術者を連れて大阪に向かい、家賃42円の2階建ての家を借りて、全員がこの家で寝泊まりし、大阪での生活を始めた。

 早川氏は、後に自らの著書の中で、「東京生まれの私が大阪へやってきて、事業を新たに興したというと、ちょっと派手に聞こえるが、体のいい都落ちであった。時の勢いで、やむなく大阪にやってこなければならなかった」と記している。

17年4月15日夜には、袖看板が静かに撤去された 17年4月15日夜には、袖看板が静かに撤去された
8月31日までに解体が終了する予定だが前倒しで進んでいるようだ 8月31日までに解体が終了する予定だが前倒しで進んでいるようだ

 だが、商魂に徹した土地柄や、地位や毛並みを問題にしないという風土が気に入り、早川氏は、大阪での再起を図ろうと決意。借家の近くにあった荒物屋の主人の紹介で、大阪の南の郊外に良い土地があると聞かされて出向いた場所が、シャープ旧本社があった大阪市阿倍野区長池町だったのだ。土地の広さは235坪。坪6銭で10年間借用する契約だったという。

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