島安次郎は実在の人物。1870年(明治3年)生まれ、1946年(昭和21年)没。東京帝国大学卒業後、関西鉄道に入社。同社が国有化されると鉄道院の技術職として活躍。国産蒸気機関車の開発など、日本の鉄道国産化、技術進化に貢献した。国鉄を辞したのち満州鉄道に渡り、帰国後は鉄道車両メーカーの汽車会社の社長となった。戦時中は新幹線の前身ともいえる弾丸列車計画に携わる。
―― 島安次郎について、先生はどんな人物像で捉えていらっしゃいますか。
池田: 人となりの資料が少なくて、自分で考えたキャラクターとして描くしかない。実直であることは間違いないだろうと。そして努力家。技術職といっても工作課長で、土木ではないんですね。偉い人ですけれど。現場の機械や合理性を追求したいという気持ちがある。
―― 島安次郎の鉄道への情熱、その原点はどこにあるのでしょう。
池田: 基本はドイツだと思います。ドイツには若いときから行ってます。当時の洋行は、現在のようにたくさんの情報を得られるわけではない。でも、ドイツの鉄道の活躍を見て「鉄道ってこれほどのことができるんだ」と衝撃を受けたと思う。あの頃のドイツは電車ですごいスピードを出した実験とかもやってますから(1903年に電車最高時速200キロを達成。このとき島安次郎は33歳)。それを見て「日本の風土に鉄道をどうやって根付かせていくか」と考えたのが、島安次郎の鉄道感の原点だろうと。
―― 日本の鉄道史は始まったばかり。そんな状況でドイツに行って、先進ぶりにビックリした。だから鉄道の可能性を信じている。
池田: 島安次郎は明治3年生まれで、日本の鉄道開業は明治5年ですから、鉄道と共に生まれ、生きてきた。そして、あの時代は「国の発展のために」と堂々と言えた時代です。
―― 国の発展が正義ですよね。鉄道で国を発展させる。世界に追い付きたい。その気持ちが、後の改軌論(※)につながっていくんでしょうか。
池田: そう思います。でも、資料を調べていくと、島安次郎は慎重な人なんですよ。一足飛びに何か解決しようとはしない。そこが技術屋としてだけではなく、官僚としても優れていた。『エンジニール 鉄道に挑んだ男たち』では人間味のあるキャラクターとして描いていますけど、現実には冷徹なスーパーエリートかもしれない。
―― 官僚という立場では、現場に寄り添うような態度はなかったかもしれませんね。
池田: 機械は好きなんですよ。機械を扱う機関士などと意見交換はしたと思います。
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