「定年後に1億円」は本当に必要なのか定年バカ(4/4 ページ)

» 2017年11月20日 07時17分 公開
[勢古浩爾ITmedia]
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定年後いくら必要かを決めるのは結局、自分

「定年後は何かしなきゃ、生きがいをもたなきゃ病」の呪縛をとく『定年バカ』(著、勢古浩爾/SB新書)

 岡崎充輝氏は、定年までにやるべき具体的な対策として、(1)「定年までの目標貯蓄額を決める」、(2)「住宅ローンの繰り上げ返済」を考える、(3)「無駄な保険を見直す」の3つを挙げている。で、その「定年までの目標貯蓄額を決める」だが、これがめんどうくさい。同書で示されている「定年後の収支シミュレーション表例」によると、2017年から2042年まで(60歳から85歳まで)、収入明細と支出明細の数字がびっしり書き込まれている。

 で、その最終的な差額が「定年までに用意する額」となるのだが、こんな面倒くさくてばかばかしいことを真剣にやる人がいるのだろうか。

 計算機片手に夫婦で必死になって計算し、表づくりをした挙句、「現実問題、どう計算しても『こんな金額準備できない』という場合は、どうすればいいのでしょうか」なんて岡崎氏はいっている。そりゃそうなるよ。とどのつまり、「支出を減らすというのが現実的な方法である」。最初からそういってくれよ。もう、どうでもいいや、そのときはそのときだ、どうにかなるだろう、と思うしかないのである。

 無駄な保険も見直しなさいということだ。「人生における最大のリスクである『長生きリスク』への対策は、結局、無駄な支出を極力減らすことです。そのためなら、極端な話、保険なんかいりません」。これは力強いお言葉。資産運用については「結論として、あまりおススメできない」と、これまた良心的。町を歩くと、銀行の窓に「資産運用」の大きな紙が貼り出されている。お生憎様。私はそんなつもりもないし、そんな才覚もないが、そもそも運用すべき資産がない。

 結局、自分の定年後の生活は自分でコントロールすればいいだけのことである。自分のできる範囲で生活をすればいい。いくら必要かなど、計算しても意味はない。それに、これから生きるつもりの22年間分の生活費を計算しても、22年間が一度にやってくるわけではない。1日ずつやってくるのである。それに22年間(ただの平均寿命)が本当にやってくるのか、それよりも短いのか長いのか、も分からない。一応そこまで想定するのがまともな人間の考えではないか、といわれるかもしれないが、私はそうは思わない。直近5年くらいで十分である。

 必要なのは今日、今月、今年を生きていくことである。あれやこれやのただの平均でしかない情報を見て、心配しすぎたり、安心させてもらいたがるのは愚かである。年金だけでは生活できないといわれても、それしかないのなら、それで生活をするしかない。爪に火を点すような暮らし、というのがどんなものか私はまだ知らないが、それしかないのならやむを得ないことである。

著者プロフィール:

勢古浩爾(せこ・こうじ)

 1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に34年間勤務ののち、2006年末に退職。市井の人間が生きていくなかで本当に意味のある言葉、心の芯に響く言葉を思考し、静かに表現しつづけている。1988年、第7回毎日21世紀賞受賞。著書に『結論で読む人生論』『定年後のリアル』(いずれも草思社)、『自分をつくるための読書術』『こういう男になりたい』『思想なんかいらない生活』『会社員の父から息子へ』『最後の吉本隆明』(いずれも筑摩書房)、『わたしを認めよ!』『まれに見るバカ』『日本人の遺書』(いずれも洋泉社)など。


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