「定年後いくら必要なのか」 考えてもムダだった定年バカ(3/3 ページ)

» 2017年11月27日 07時33分 公開
[勢古浩爾ITmedia]
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上流でも下流でもない間で生きるということ

 「個人の年収と幸福度の相関」において、「年収が高くなるほど幸福度が上がる。ただし600万円を超えると幸福度は伸び悩む」という調査結果がある。調査対象はほぼ団塊の世代である。「『とても幸せ』に限れば、1200万円以上で15%と増えるが、『幸せである』と合計すると78%であり、800万円〜1200万円未満のシニアの82%よりも少ない。600万円以上収入があることは、幸福度にとってはあまり意味のないお金であり、1200万円以上あってもますます意味がないらしい」(三浦展『下流老人と幸福老人 資産がなくても幸福な人 資産があっても不幸な人』光文社新書、2016)

 なるほどね、やはりそういうものか。私は1200万円の年収など一度としてあった試しはないが、それが「幸福度」にとっては「ますます意味がないらしい」というのは分かるような気がする。ただの安心料だろう。外車を5台持っていても、本当はそれほどうれしいはずがない。夫婦でお金を貯めて買った軽自動車のほうがよっぽどうれしいはずである。

 にもかかわらず、金持ちはもっとお金が欲しくなるものらしい。それで投資詐欺にあったりしている。あれは、ただむやみにお金を増やしたいのだろう。

 「1人暮らし世帯」においてもこんな調査結果がある。「子供のいる男性で『幸せである』は39%だが、女性は71%である」「孫がいる男性は『幸せである』が37%だが、女性は73%である」。この男女差の開きは意外である。「このように、男性は子供や孫がいても必ずしも幸せではない。むしろ、子供がいない人のほうが『幸せである』が40%と少し多い。孫がいない男性は『幸せである』が43%と明らかに多い。これは、現在のシニアでは、経済力が男性の幸福度を測る基準として重視されたからであろうか」

 なるほど、子どもや孫よりも「お金」か。いかにも現実的である。しかし、そのお金にしても使いきれないほどはいらない、ということだ。歳をとればもう欲しいものなど、そんなにあるわけではない。巻末の藤野英人氏(投資ファンド会社社長)との対談で、三浦展氏は「結論は、『下流幸福老人』は、自分だけでなく他人の幸福を考える人、『下流不幸老人』は、お金が欲しいと言い続ける人、『上流不幸老人』は、夫婦や子供との関係が悪い人、でした」といっている。

 うなづける指摘である。ただし、これもアンケート結果による比率である。あなたも私も入ってはいない。自分について知っているのは、私たち自身である。 

 定年や老後にかぎった話ではないが、メディアに取り上げられる例は、目立つ人か目立つことばかりである。定年の話でいえば、上は充実した生活を送っている人、下は公園や図書館で時間を持て余している人である。老後では、上は高級介護マンションでゆとりある老後を楽しんでいる人、下はその日暮らしの先に希望のない人。

 いずれにしても取材に値し、世に報じる価値がある人でなければならない。三浦展氏のこの本でいえば「下流老人」と「幸福老人」である。大半ののっぺらぼうの中間は、面白みがないのだ。しかし統計にもアンケートにも登場しない現実の私たちは、「上流」でも「下流」でもなく、「幸福」でも「不幸」でもない間で、生きている。

著者プロフィール:

勢古浩爾(せこ・こうじ)

 1947年大分県生まれ。明治大学政治経済学部卒業。洋書輸入会社に34年間勤務ののち、2006年末に退職。市井の人間が生きていくなかで本当に意味のある言葉、心の芯に響く言葉を思考し、静かに表現しつづけている。1988年、第7回毎日21世紀賞受賞。著書に『結論で読む人生論』『定年後のリアル』(いずれも草思社)、『自分をつくるための読書術』『こういう男になりたい』『思想なんかいらない生活』『会社員の父から息子へ』『最後の吉本隆明』(いずれも筑摩書房)、『わたしを認めよ!』『まれに見るバカ』『日本人の遺書』(いずれも洋泉社)など。


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