定年あるある「旧職の地位にしがみつく」定年バカ(1/4 ページ)

» 2017年12月14日 07時31分 公開
[勢古浩爾ITmedia]

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本記事は、書籍『定年バカ』(勢古浩爾/SB新書)の中から一部抜粋し、転載したものです。


 プロレスラーの武藤敬司氏が「思い出と戦っても勝てねえんだよ」といったという。武藤氏がどういうつもりでいったのか分からないが、「思い出」の大切さに関しては同感である。私は思い出と戦ったりはしないけど。

 思い出として残っているものには不朽の価値がある。そんなものと戦って、勝てるはずがない。現前の人物や光景のほとんどは思い出になりきれず、ただ消えていくだけのものである。思い出とは濾過されて残った良い記憶のことである。嫌な不快な記憶は、別の場所に澱(おり)のようにたまった毒である。廃棄するにかぎる。思い出は、良き日々や人々の懐かしさであり、過ぎ去った人生の彩りであり、ばかばかしい現在のなかの慰藉(いしゃ:なぐさめていたわること)である。

 未練というものがある。過去の形骸でしかない自分をいつまでも引きずっている。思い出は現在の自分に潤いを与えてくれるが、未練は現在の自分を掘り崩すだけである。未練とはくすぶっている自我である。自分で水をかけて消すこともできず、といって自分で火をくべて、再び赤々と燃えあがらすこともできない。ただ煙を出してくすぶっている自我に自分がむせているだけだ。そのむせ返りが自分でも納得できず、その不快さを周囲にまき散らす。それで浅ましくも自分の存在を知らしめようとする。

「昔はよかったなあ」と過去の栄光にすがる人は多い!?
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