「口裂け女」を岐阜のアイドルにした、地元経営者の“本気”商店街に活気を(2/5 ページ)

» 2018年01月09日 07時00分 公開
[加納由希絵ITmedia]

 昭和の時代に話を戻すと、吉村さんの子ども時代には、1つ象徴的な出来事がある。1978年の終わりごろ、中学2年生のときに起こった「口裂け女」騒動だ。マスクをした女性が、学校帰りの子どもたちに「私、きれい?」と聞いてくる。マスクを外すと、口が耳元まで裂けている――といった都市伝説だ。当時、全国の子どもたちが恐怖におびえた。「夜、外に出られない子もいました」と吉村さんは懐かしそうに振り返る。

 そして、この「口裂け女」伝説の発祥は岐阜県だとされている。柳ケ瀬が元気だったころの雰囲気と、口裂け女伝説がつながった。昭和の岐阜の象徴として、口裂け女を軸に何かできないか――。それがお化け屋敷の原点だ。

photo 「やながもん」柳ケ瀬お化け屋敷製作委員会代表の吉村輝昭さん

子どもが「やめてほしい」

 吉村さんは早速行動を起こした。2011年、お化け屋敷の前身となるイベント「口裂け女祭り」を開催。参加者に映画などを楽しんでもらい、成功したものの、「1日で終わってしまうイベントは、町おこしとはいえない」。一定期間、にぎわいを創出できる仕掛けとして考えたのが、お化け屋敷だ。

 東京・お台場や京都・太秦などの有名なお化け屋敷に行き、その手法を勉強した。そこで分かったお化け屋敷成功の条件は、「パイが大きいところ」。アミューズメント施設のように、たくさんの人が集まる中に設置することが一般的だった。

 しかし、柳ケ瀬には人がいない。人を呼ぶためにお化け屋敷をやるのだ。「人がいないのに成功するのか」「本当に人を呼べるのか」と、疑問視する声もたくさんあった。さらには、「気持ち悪い」と言われることもあった。準備を始めたころ、近所の子どもが「やめてほしい」とお願いに来ることまであったという。

 吉村さん自身も不安はあったが、柳ケ瀬とお化け屋敷の親和性には確信を持っていた。「昭和ノスタルジーを呼び起こすことで、化学反応が起きるのではないか、と考えていました。確かに、口裂け女はおどろおどろしいイメージですが、センセーショナルなことをしないと、面白いと思ってもらえません」

 商店街側も最初は懐疑的だったが、吉村さんらの熱意に押され、応援してくれる人が増えた。当時、商店街の店舗などで構成する振興組合連合会で役員を務めていた松田多賜郎さんは「私たちにそんな発想はなく、最初は実現するのは大変だと思いました。でもやってみないと分からない。実現できたのは、吉村さんの情熱があってこそ」と舌を巻く。吉村さんは「柳ケ瀬の華やかだった時代を知っている人たちが応援してくれました」と振り返る。

photo 空き店舗を利用したお化け屋敷「恐怖の細道」(2015年)

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