近年のエベレスト登頂は酸素ボンベを用いて吸入しながら登るスタイルが一般的。8000メートルを超えると酸素が地上の3分の1になり、ゆっくりと一歩足を進めるだけで全力疾走した直後のように息切れする。人によっては酸素不足から激しい頭痛も引き起こし、簡単な足し算ができなくなるほどまでに思考能力も低下してしまう。そのまま無理をすれば高山病になり、呼吸困難から肺水腫を引き起こし、死の淵をさまようはめにもなる。
実際に筆者も、かつてエベレストのベースキャンプ手前だが「カラパタール」と呼ばれる“丘”まで登ったことがある。“丘”といっても、そこは5545メートル。日本の富士山よりもはるかに高い地は酸素が平地の半分近くと言われ、かなり呼吸が苦しくなる。高地登山の鉄則を忘れて駆け足でもしようものなら、まるで脳みそを絞られるかのような激しい頭痛にさいなまれてしまう。
そのカラパタールよりも、もっともっと高い場所で酸素を使わずに登ることが、いかに至難の業か。酸素ボンベを使えば10キロ弱の重さが背中にかかるとはいえ、高所での呼吸が楽になるだけでなく動きも格段によくなり、疲労は当然軽減される。死に至る可能性のある高山病にかかるリスクも低くなるが、栗城さんはあえて酸素ボンベを持たない無酸素を選んだ。
しかも栗城さんは単独登頂だった。ここでいうエベレストでの単独登頂とは通常、誰の手も借りずに登ることを意味する。他の登山者がつくり上げたルートを使うことや、ネパールの高地に住む熟練の登山ガイド「シェルパ」を荷物運びのポーター役として付き添わせることも認められない。
そんな世界初のエベレスト南西壁ルートからの単独・無酸素登頂を目指す戦いに挑みながら栗城さんは敗れ、この世を去った。だが、命を落としながらも彼の挑戦には残念ながら「無謀だった」という声が今もって絶えない。
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