行列ができるまでに復活! 「東京チカラめし」の反転攻勢長浜淳之介のトレンドアンテナ(3/5 ページ)

» 2018年07月03日 06時00分 公開
[長浜淳之介ITmedia]

居酒屋の次に目を付けたのが「日常食」」

 東京チカラめしが誕生したのは東日本大震災がきっかけであり、平林氏は当時「これからの外食は日常食」と確信していた。

 それまでの三光マーケティングフーズは、居酒屋に新境地を開いたことで知られていた。同社が外食大手に発展するきっかけとなったのが、1998年から展開した「東方見聞録」のヒットだ。東方見聞録で個室居酒屋のブームを生み出し、手づくりの味を追求したプライベートダイニングという分野を創出した。

 2000年より展開した豆富料理をメインとする「月の雫」は、類似店が続出するほどのヒットとなった。月の雫は映画やドラマにもなった「電車男」が、恋人の「エルメス」とのデートに使った店としても知られている。

 これらの実績により、03年にはジャスダックに上場、04年には東証2部に昇格した。

 09年より全品300円で提供する低価格均一料金「金の蔵jr.」の展開を開始。給料が右肩下がりの時代にマッチした居酒屋の形態として注目を集め、雰囲気重視から低価格・ローコストオペレーションへ大胆にビジネスモデルを転換した。居酒屋は今も同社の大きな収益源となっており、17年6月期の年商は134億3600万円にも上る。

 このように同社は、時代を先取りして主力業態を変えてきた歴史があり、東京チカラめしの誕生は、居酒屋から日常食の焼き牛丼へと舵を切ったものだった。東方見聞録、月の雫の流れからは非日常の飲食空間を得意とする外食企業と見られていただけに、正反対の新方針を打ち出したことは飲食業界のみならず投資家にも大きなインパクトを与えた。

 平林氏はイノベーションを起こして新しい市場を開拓するのを信条としていた。若い世代に酒離れが進行し、ワタミ、コロワイド、モンテローザなど居酒屋で発展してきた外食大手が、お酒がなくても売り上げが取れるレストラン業態を懸命に強化している現状を見ると、日常食に一気にシフトした着眼点の鋭さに、改めて気付かされる。

 ただし、体制が整わないうちに店舗拡大を急ぎ過ぎ、退却を余儀なくされてしまった。平林氏は時代より先に進み過ぎていた。

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