<最初の計画から数十年も経過>
真備町の住民の多くは、大きな水害のあった1972年と76年以降に、2つの川にはさまれたこの地域に引っ越してきた。お年寄りは洪水のリスクを認識していたが、床上までの浸水は経験しなかったと言う。真備町は、倉敷市中心部に通う「新住民」のベッドタウンとして人口が増加した。
倉敷市の河川整備計画は、過去50年にわたり様々な経緯で変遷してきた。岡山河川事務所によると、最初の計画は1968年まで遡る。
小田川と高梁川の合流地点付近で、治水のために貯水池をバイパスとし、同時に堰を作って用水を確保する計画だった。
しかし、地元の一部の反対などがあり計画は進まず、2002年までには、用水の需要が減ったことから、いったんこの事業は中止となった。
過去20年間、全国的に公共事業への支出は大幅に削減されてきた。1999年度のピーク時には14.9兆円だった公共事業費は11年度に5.3兆円まで減少し、今年度は6兆円だった。
2014年にようやく280億円の予算がつけられた小田川と高梁川のバイパス事業は、完成まで10年が予定され、今年の秋から工事に入る予定だった。
<ハザードマップ>
政府は2005年、各地方自治体に浸水のリスクと避難所の場所を示す「ハザードマップ」の公表を義務付けた。
倉敷市でも2年前、ハザードマップが作られた。この地図上で、真備の大部分は紫色で塗られている。洪水が起きた場合、浸水する可能性が高いことを示す。
そして、この紫色の地域は、実際に今回の豪雨で浸水した地域とほぼ重なる。しかし、真備の住民に、このハザードマップは周知されていなかった。
気象庁によると、7月6日の1日の降水量は138.5ミリ、倉敷市としては観測史上2番目の多さだった。7日未明、小田川と高馬川の3カ所で堤防が決壊し、真備に水が流れ込んだ。
倉敷市のハザードマップは降雨量の少ない地域であることを前提に作られている。岡山県のホームページは「晴れの国、おかやま」として、年間を通じて雨が少なく、日照時間が多いとことを伝えている。
ただ、同時に河川が短く急な斜面を流れていることから、いったん大雨が降ると洪水が起こる危険があるとも示されている。
浸水した家からボートで救助されたある80歳の男性は、ハザードマップについて「役所から来た何かのお知らせの1つだと思った」と話した。「水がすごい速さで上がってきた。警戒が足りなかった」。
<堤防決壊4分前の避難指示>
国交省は2015年に「水防災意識社会再構築ビジョン」を策定したが、避難勧告・指示に関しては地方自治体に任せられた。
伊東香織・倉敷市長が、最初の避難指示を小田川の南側の地区に出したのは7月6日午後11時45分。7日の午前1時30分には町の拡声器、携帯電話のメール、テレビ、ラジオを通じて小田川北側の住民に避難を指示した。
小田川北側の地区に避難指示が出されたのは、小田川に流れ込む高馬川の堤防が決壊する4分前だった。
伊東市長は会見で、避難指示のタイミングについて見解を聞かれ、河川の状況を見ながら基準に従って指示を出したと述べた。
真備の住民の1人、山下篤志氏(63)の家族は避難できたものの、近所に住む90代の男性に、小田川からわずか数十メートルの自宅から避難するよう説得することはできなかった。その後、この男性の死亡が確認された。
がれきの積まれた自宅の前で、山下氏は「また、同じようなことが数年であるかもしれない」と話す。「妻は、もうここには住めないかもしれないって言っている」と述べ、うつむいた。
(Mari Saito, Linda Sieg, 宮崎亜巳 編集:田巻一彦)
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